こんにちは、なんだろなアメリカのキョウコ@NandaroAmericaです。
アメリカにおける日系人の歴史を考える時、まず知りたいのは「いつ日本人がアメリカへ渡ったのか」(前回のテーマ)です。
そして、その次に重要になるのが、なぜ日本人はアメリカへ渡ったのかという問いです。
日系人の歴史は、単に「日本人が夢を抱いてアメリカへ行った」という明るい物語だけではありません。また、「貧しかったから出稼ぎに行った」という一言だけでも説明できません。
そこには、明治期の日本社会の変化、農村の経済的困難、税制や産業化の影響、海外渡航への制限緩和、ハワイやアメリカ西海岸側の労働需要、砂糖産業や農業・鉄道・漁業などの発展、移民会社やリクルーター、家族や同郷者のネットワーク、そして個人の希望や不安が複雑に重なっています。
この記事では、アメリカにおける日系人の歴史シリーズ第2回として、日本人がなぜアメリカやハワイへ渡ったのかを、中立的に整理します。
ここで扱う「アメリカ」は、現在のアメリカ合衆国本土だけでなく、後にアメリカ領・州となるハワイも含めて見ていきます。ただし、当時のハワイはハワイ王国であり、のちにアメリカ合衆国へ併合される地域です。そのため、ハワイ移民とアメリカ本土移民は、必要に応じて分けて考えます。
この記事の目的は、日系移民の歴史を美化したり、単純化したりすることではありません。
日本からアメリカに移住した人。
在米日本人として自分の立ち位置を考えたい人。
日系移民の歴史を学びたい人。
アメリカ移民史を研究している人。
子どもに日系人の歴史を伝えたい人。
そういう方が、正確な知識を持つための研究まとめとして読めるように書いています。
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日本人移民を考える時の基本視点
日本人がアメリカへ渡った理由を考える時、重要なのは、送り出した側と受け入れた側の両方を見ることです。送り出した側とは、日本です。
明治維新以降、日本は急速に近代国家へ変わっていきました。政治制度、税制、軍制、教育、産業、土地制度、国際関係が大きく変化しました。その中で、農村部の人々や若い男性たちは、国内に十分な経済的機会を見つけられないことがありました。
一方、受け入れた側とは、ハワイやアメリカ西海岸です。ハワイでは砂糖産業が成長し、大量の労働力が必要とされました。アメリカ本土西海岸では、農業、鉄道、製材、漁業、鉱山、都市部のサービス業などで労働力需要がありました。
つまり、日本人移民は、日本側の押し出す力と、ハワイ・アメリカ側の引き寄せる力が重なった結果として生まれました。
移民研究では、これをPush factorsとPull factorsと呼ぶことがあります。Push factorsは、人々を故郷から押し出す要因です。
貧困。
土地不足。
税負担。
農村不況。
産業化の影響。
若者の将来不安。
国内での就業機会の少なさ。
Pull factorsは、人々を移住先へ引き寄せる要因です。
高い賃金の期待。
労働需要。
契約労働の募集。
海外での成功物語。
家族や同郷者の紹介。
帰国後の生活改善への期待。
新しい土地での機会。
明治期の日本人がアメリカへ渡った理由は、この両方を見ないと理解できません。
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明治期の日本社会の変化
19世紀後半、日本は大きな変化の中にありました。1868年の明治維新以降、日本は近代国家としての制度整備を進めました。
士族制度の解体、廃藩置県、地租改正、徴兵制、学校制度、産業化、鉄道、郵便、金融制度など、社会の仕組みが急速に変わっていきます。この変化は、日本を近代化させる一方で、庶民、特に農村部の人々に負担を与える面もありました。
Denshoの資料は、一世移民の多くが農民層出身であり、明治政府の近代化政策による産業化、インフレ、税負担の上昇などの影響を受けたと説明しています。また、移民労働者の多くが広島、山口、熊本、福岡の四県から来たことも指摘しています。(densho.org)
明治期の日本では、農村部で生活が安定しなかった人々がいました。土地を持たない人、土地が少ない人、家を継げない次男・三男、借金を抱えた家庭、現金収入を必要とする家庭にとって、海外出稼ぎは一つの選択肢になりました。
これは、単に「日本が貧しかったから」という話ではありません。国家の近代化が進む中で、地域差、階層差、農村経済の変化、現金収入の必要性が人々の人生選択に影響したということです。
農村の若者にとっての海外出稼ぎ
初期の日本人移民の多くは、永住を前提にアメリカへ渡ったわけではありません。むしろ、一定期間働いてお金を貯め、日本へ帰るつもりだった人も多くいました。これを出稼ぎ型移民として見ることができます。
若い男性が海外へ渡り、数年間働き、故郷へ送金し、帰国後に家を建てる、土地を買う、借金を返す、結婚する、家業を支える。そうした計画を持つ人もいました。
Denshoの一世に関する資料では、1885年から1924年の間に多くの一世が到着し、明治期の土地・税制改革によって深まった農村貧困から逃れるため、若い日本人男性がアメリカへ向かったと説明されています。(densho.org)
移民の背景には、個人の冒険心や希望もありました。
海外へ行けば稼げるかもしれない。
日本では難しいが、アメリカなら機会があるかもしれない。
数年働けば家族を助けられるかもしれない。
新しい世界を見られるかもしれない。
このような思いは、移民の大きな動機でした。
ただし、実際の移民生活は簡単ではありませんでした。長時間労働、低賃金、差別、言葉の壁、孤独、劣悪な住環境、法的制限がありました。つまり、海外移民は「夢の実現」であると同時に、「厳しい労働移動」でもありました。
ハワイの砂糖産業と日本人労働者
日本人移民の歴史を考える上で、ハワイの砂糖産業は非常に重要です。
19世紀後半、ハワイでは砂糖産業が発展し、大量の労働力が必要とされました。プランテーション経営者たちは、中国、ポルトガル、日本、フィリピン、韓国などから労働者を集めました。
Library of Congressは、ハワイのプランテーション社会において、多くの日本人移民が巨大な砂糖きび農園で草取りや刈り取りの労働に従事したと説明しています。ハワイのプランテーション社会は、アメリカ本土とは異なる独自の社会であり、日本人移民は商業的利益に強く支配された環境の中で生活を築こうとしました。(loc.gov)
1868年には元年者がハワイへ渡りましたが、本格的な日本人移民が始まるのは1885年以降です。
JICA横浜海外移住資料館の広島市バーチャル移民資料館は、1885年に日本政府とハワイ王国の合意に基づいて、本格的なハワイ移民が始まり、政府公認の契約労働移民が出発したと説明しています。当時ハワイでは砂糖きび産業が栄え、深刻な労働力不足があったとされています。(jica.go.jp)
ここで重要なのは、日本人移民が「自発的な個人移動」だけでなく、産業側の労働力需要と移民募集の仕組みの中で動いたという点です。
ハワイ側は労働力を必要としていました。
日本側には海外で働きたい人々がいました。
両者をつなぐ制度や募集がありました。
この組み合わせが、日本人の大規模なハワイ移民を生み出しました。
中国人排斥と日本人労働者の需要
ハワイやアメリカ西海岸で日本人労働者の需要が高まった背景には、中国人移民に対する排斥も関係しています。
19世紀のアメリカ西部では、中国人労働者が鉄道建設、鉱山、農業、サービス業などで重要な役割を果たしました。しかし、白人労働者や政治家の間で反中国人感情が高まり、1882年に中国人排斥法が成立します。この流れは、ハワイの労働市場にも影響を与えました。National Park Serviceは、1882年の中国人排斥法によって中国からの移民が減った後、ハワイの砂糖プランテーションが日本人移民を労働力として求めるようになったと説明しています。(nps.gov)
Library of CongressのFolklife Todayでも、ハワイの砂糖プランテーションは労働者を必要としており、中国人排斥法によって労働力供給がさらに制限されたため、日本からの労働者が重要になったと整理されています。(loc.gov)
つまり、日本人移民の増加は、日本側の事情だけでなく、アメリカやハワイにおけるアジア系移民政策、労働市場、人種化された労働需要とも関係していました。
これは、日系移民史をアメリカ移民史全体の中に位置づける上で重要です。ある移民集団が排除された後に、別の移民集団が労働力として求められる。そして、しばらくすると今度はその新しい移民集団も排斥の対象になる。これは、アメリカの移民史に繰り返し現れる構造です。
アメリカ本土西海岸への移動
ハワイだけでなく、アメリカ本土西海岸にも日本人移民は渡りました。
アメリカ本土では、特にカリフォルニア、ワシントン、オレゴンなどの西海岸地域に日本人移民が集中しました。
Library of Congressは、アメリカ本土に渡った初期の日本人移民が、太平洋岸に散らばり、小さな町やサンフランシスコの日本人街などにコミュニティを作ったと説明しています。彼らは農業労働、製材所、鉱山、商店、レストラン、小さなホテルなど、さまざまな仕事に従事しました。(loc.gov)
National Park Serviceも、日本人移民が1860年代にハワイの砂糖プランテーションへ到着し、その後、多くが西海岸へ移動して農業や漁業で働いたと説明しています。これらの初期移民は一世、Isseiとして知られ、多くは1885年から1924年の間にアメリカへ来ました。(nps.gov)
アメリカ本土に渡った日本人たちは、最初は労働者として働き、その後、農業経営、小売店、宿泊業、レストラン、漁業などに進出していく人もいました。
ただし、土地所有や帰化の制限、排日運動、学校分離問題、反アジア感情など、多くの壁がありました。
アメリカ本土の日本人移民は、ハワイとは異なる人種的・法的環境の中で生活を築くことになります。
移民はなぜ特定地域から多かったのか
日本人移民は、日本全国から均等に出たわけではありません。初期の移民には、広島、山口、熊本、福岡など、西日本・九州方面の出身者が多いとされています。Denshoの資料は、一世移民の多くが広島、山口、熊本、福岡の四県から来たと説明しています。(densho.org)
これは、いくつかの理由で説明できます。まず、これらの地域には農村経済の問題や人口圧力がありました。次に、移民募集や斡旋のネットワークが発達しました。さらに、最初に渡った人が成功や送金の情報を故郷へ伝えると、同じ村や地域から後続の移民が出るようになりました。これはChain migration、連鎖移民と呼ばれる現象です。
ある人が海外へ行く。
現地で仕事を見つける。
家族や親戚、同郷者に情報を送る。
次の人がその情報を頼りに渡る。
現地に同郷ネットワークができる。
こうして、特定の地域から特定の移住先へ人の流れが生まれます。日系移民の歴史も、この連鎖移民の視点で見ることができます。
男性労働者から家族移民へ
初期の日本人移民は、若い男性の出稼ぎ労働者が中心でした。しかし、時間が経つにつれて、移民は単身労働から家族形成へと変化していきます。
男性たちが長期滞在するようになり、写真花嫁、Picture Brideとして日本から女性が渡るようになりました。
結婚し、子どもが生まれ、家庭ができ、学校、教会、寺院、日本語学校、商店、組合、新聞などが生まれました。
Denshoは、一世移民について、最初の男性移民労働者の段階から、妻たちの移民によって定住コミュニティへ発展していったと説明しています。(densho.org)
この変化は非常に重要です。なぜなら、出稼ぎ労働者の集団と、子どもを育てる定住コミュニティでは、社会的意味がまったく違うからです。
最初は日本へ帰るつもりだった人々も、家族を持ち、土地や仕事を持ち、子どもがアメリカで生まれると、生活の重心がアメリカへ移っていきました。
この時、二世、Niseiが生まれます。
二世はアメリカで生まれたアメリカ市民でありながら、日本人の親を持つ子どもたちでした。この世代が、後にアメリカ社会の中で、日系人としての複雑な立場を背負っていくことになります。
日本人移民の目的は一つではなかった
日本人がアメリカへ渡った理由は、一つではありません。
お金を稼ぐため。
家族を助けるため。
借金を返すため。
土地を買うため。
新しい世界を見たいから。
日本での将来に不安があったから。
契約労働に応募したから。
親戚や同郷者に誘われたから。
ハワイやアメリカで成功した人の話を聞いたから。
日本へ帰るつもりだったが、結果的に定住したから。
こうした理由が、個人によって異なる形で重なっていました。
移民を「貧困から逃げた人々」とだけ見ると、個人の主体性や希望が見えにくくなります。一方で、「夢を追ってアメリカへ渡った勇敢な人々」とだけ見ると、労働搾取や差別、制度的な制限が見えにくくなります。
日系移民史を正確に見るには、経済的必要、労働需要、移民制度、個人の選択、家族戦略、差別の歴史を同時に見る必要があります。
アメリカ側は日本人を歓迎したのか
ここで注意したいのは、日本人がアメリカに渡ったからといって、アメリカ社会が常に歓迎したわけではないということです。
ハワイや西海岸の産業は労働力を必要としていました。しかし、労働力として求められることと、社会の一員として平等に受け入れられることは別でした。日本人移民は、低賃金労働力として必要とされる一方で、白人労働者や政治家、新聞、農業団体などから排斥の対象にもなりました。
Library of Congressは、アメリカ本土における日本人移民の成長と抵抗について、初期移民が農業、製材、鉱山、商店などで働いた一方、排日感情や法的制限が強まっていったことを説明しています。(loc.gov)つまり、日本人移民は、労働力として歓迎されながら、人種的には歓迎されないという矛盾した立場に置かれました。これは、後の排日運動、紳士協定、外国人土地法、第二次世界大戦中の強制収容へとつながる長い歴史の前段でもあります。
現代の日本人移住者と初期移民の違い
現代の日本人がアメリカへ来る理由は、初期の一世移民とは大きく違います。
留学。
駐在。
国際結婚。
研究。
芸術活動。
ITや専門職。
起業。
永住。
家族の呼び寄せ。
現代の移住者は、飛行機で移動し、インターネットで情報を得て、ビザ制度の中で渡米します。初期移民のように、砂糖きび農園や鉄道、製材所で契約労働者として働くために渡るわけではありません。
それでも、共通点もあります。
より良い機会を求める。
家族の未来を考える。
言語の壁に向き合う。
異文化で生活を築く。
日本とのつながりを保つ。
アメリカ社会の中で自分の立ち位置を考える。
現代の日本人移住者が日系人史を学ぶ意味は、過去と現在を単純に重ねることではありません。むしろ、時代や条件の違いを理解した上で、自分たちがどのような移民史の後にいるのかを知ることにあります。昔の日本人移民や日系人が歩んだ道を学び、思いを馳せるのも、新移民にとって自分の人生を考えるのに役に立つのではないでしょうか。
まとめ
日本人はなぜアメリカへ渡ったのか。
その理由は、一言では説明できません。
明治期の日本社会では、近代化、税制改革、産業化、農村経済の変化、インフレ、生活不安が人々の移動を促しました。Denshoは、一世移民の多くが農民層出身であり、明治政府の近代化政策による産業化、インフレ、税負担の上昇の影響を受けたと説明しています。(densho.org)
一方、ハワイやアメリカ西海岸では、砂糖産業、農業、鉄道、製材、漁業、鉱山などで労働力が必要とされていました。Library of Congressは、ハワイのプランテーション社会で多くの日本人移民が砂糖きび農園で働いたと説明しています。(loc.gov)
1885年以降、日本政府とハワイ王国の合意に基づく本格的なハワイ移民が始まり、砂糖きび産業の労働力不足が背景にありました。(jica.go.jp)
中国人排斥法によって中国人労働者の流入が制限されると、ハワイのプランテーションは日本人労働者を求めるようになりました。National Park Serviceも、この流れを説明しています。(nps.gov)
アメリカ本土へ渡った日本人は、西海岸を中心に農業、製材所、鉱山、商店、レストラン、ホテルなどで働き、やがて小さなコミュニティを作りました。(loc.gov)
初期の日本人移民は、多くの場合、永住ではなく出稼ぎを目的としていました。しかし、時間が経つにつれて、妻を呼び寄せ、子どもが生まれ、家族と地域社会を築いていきました。Denshoは、男性労働者中心の移民が、妻たちの移民によって定住コミュニティへ発展したと説明しています。(densho.org)
日本人がアメリカへ渡った理由は、貧困、労働需要、契約移民、同郷ネットワーク、家族戦略、希望、冒険心、そして時代の大きな変化が重なった結果でした。
そして、その歴史は、単なる成功物語でも、単なる苦難の物語でもありません。
それは、近代日本の変化と、ハワイ・アメリカの労働市場、移民制度、人種差別、家族形成、地域社会の形成が交差した歴史です。
日系人の歴史を学ぶ時、私たちは「なぜ渡ったのか」という問いを、個人の夢だけでなく、社会構造の中で考える必要があります。
参考資料・公式リンク
Library of Congress
Japanese | Immigration and Relocation in U.S. History
Hawaii: Life in a Plantation Society
The U.S. Mainland: Growth and Resistance
Holehole Bushi: Franklin Odo on the Work Songs of Japanese Immigrant Plantation Workers in Hawai‘i
National Park Service
Movement and Migration of the Munemitsu Family
Chinatown Historic District Honolulu
Densho Encyclopedia / Densho Digital Repository
Life in Japan and reasons for leaving
Japanese Americans Chapter 1: Arrival
Issei and Early Japanese Immigrants
JICA 横浜 海外移住資料館 / 広島市バーチャル移民資料館
Hawaii section
Japanese American National Museum
Textured Lives: Japanese Immigrant Clothing from the Plantations of Hawai‘i

