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アメリカで寿司はどうやって市民権を得たのか|日本人・日系人の尽力と移民社会による変化

米文化
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こんにちは、なんだろなアメリカキョウコ@NandaroAmericaです。

アメリカで暮らしていると、寿司がすっかり「アメリカの日常食」になっていることに気づきます。高級なOmakaseレストランだけでなく、郊外のショッピングセンター、スーパー、大学の食堂、空港、病院、会社のカフェテリアにもパックの寿司があります。今のアメリカでは、寿司はもう珍しい外国料理ではありません。

日本食は、アメリカの食文化の中にかなり確かな居場所を作りました。ところが、実際にアメリカの日本食レストランへ行くと、日本人経営者や日本人シェフによって運営されていない店も非常に多いです。韓国系、中国系、東南アジア系、ラテン系、アメリカ生まれの料理人など、さまざまな背景を持つ人が寿司を作っています。

日本人の中には、「日本人でもない人が、めちゃくちゃな寿司を作っている」「日本文化を理解しないまま日本食を名乗っている」と不快に感じる人もいます。一方で私は、日本食がアメリカ社会に受け入れられ、日本人以外の人にも作られ、食べられ、商売として成り立っていること自体は、基本的に良いことだと思っています。日本人が日本でハンバーガーやスパゲティや洋菓子の専門店を展開するようなものだと。

では、なぜこのような状況になったのでしょうか。日本人・日系人は、アメリカでの寿司の普及に尽力しなかったのでしょうか。なぜ日本人だけで固まってレストランを長期経営するケースが、他の一部の移民コミュニティほど目立たないのでしょうか。

この記事では、アメリカで寿司が市民権を得た過程を、日本人移民、日系人、アメリカの移民社会、ローカライズ、ビジネス、同化という観点からざっくり考えてみます。

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寿司は最初からアメリカ人に歓迎されたわけではない

今でこそ寿司は健康的で洗練された食事として評価されていますが、最初からアメリカ人に歓迎されていたわけではありません。

生魚を食べる習慣が一般的ではなかった時代のアメリカでは、寿司はかなり理解されにくい料理でした。「魚を生で食べるのか」「海苔は黒くて不気味だ」「量が少ない」「食べ方がわからない」という反応もありました。

それでも、日本人移民や日系人は、19世紀末からハワイや西海岸を中心に、日本の食文化をアメリカへ持ち込みました。

初期の日本人移民は、農業、漁業、鉱山、鉄道、工場などで働きながら、食材店、飲食店、旅館、商店なども作りました。日本人移民が暮らす地域に、米、味噌、醤油、豆腐、魚、漬物、麺類といった食文化が持ち込まれ、その生活基盤の中から日本食レストランも育っていきました。

つまり、アメリカにおける日本食の最初の土台を作ったのは、間違いなく日本人移民と日系人です。

Smithsonian National Museum of American Historyの寿司資料でも、日本人移民がハワイへ到着した1880年代末から、現地の材料や状況に合わせながら料理を変化させてきたことが紹介されています。

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日系社会は戦争によって一度大きく壊された

アメリカの日本食文化を考える時に、第二次世界大戦中の日系人強制収容を避けて通ることはできません。

1942年、日系アメリカ人約12万人が、主に西海岸から強制的に退去させられ、収容所へ送られました。その多くはアメリカで生まれた「アメリカ市民」でした。

日系人の中には家、土地、農場、商店、レストラン、仕事、地域のつながりを短期間で失った人が大勢いました。日本人移民が努力して築いた地域経済や飲食業も、大きな打撃を受けました。

戦後に戻ってきても、以前と同じ土地や商売を取り戻せたわけではありません。差別を避けるため、日本語を子どもに教えない、日本的なものを目立たせない、できるだけ「普通のアメリカ人」として暮らすことを選んだ家庭もありました。

Denshoは、強制収容や同化圧力によって、日系社会の日本語や文化が失われていった歴史を紹介しています。この歴史を考えると、「なぜ日系人はもっと日本食ビジネスを代々継がなかったのか」と簡単には言えません。そのコミュニティは一度、国家政策によって物理的にも経済的にも分断されているからです。

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戦後の日本食は「新しい日本」のイメージとともに広がった

戦後、日本はアメリカの敵国から同盟国へ変わりました。その後、日本の高度経済成長、自動車、電化製品、デザイン、ファッション、映画、武道などがアメリカへ広がり、日本に対する印象も変化しました。

1960年代から1970年代にかけて、ロサンゼルスやニューヨークなどの都市では、日本企業の駐在員、ビジネス関係者、旅行者が増え、日本食レストランの需要も高まり、ロサンゼルスのLittle Tokyoにあった川福は、アメリカにおける初期の本格的な寿司店としてよく知られています。

当初の客は、日本人駐在員や日本に関係するビジネスマンが中心でした。しかし、そこへハリウッド関係者、富裕層、食に関心のあるアメリカ人が訪れるようになり、寿司は次第に「洗練された都会の食べ物」として認識されていきました。

寿司が広がった背景には、単なる味だけでなく、日本に対するイメージの変化がありました。清潔、繊細、職人的、健康的、無駄がない、美しい。こうした日本文化への評価が、寿司の価値を高めました。この辺りは戦前、戦時中、戦後すぐの間の、アメリカ人が日本へ抱いていた嫌悪や差別が薄れてきた表れなのかもしれません。

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カリフォルニアロールは妥協ではなく翻訳だった

アメリカで寿司を普及させた大きな存在が、カリフォルニアロールです。

カリフォルニアロールの発明者については複数の説があり、ロサンゼルスで生まれたという説と、バンクーバーの日本人シェフ、東條英員氏が作ったという説があります。

ただし、誰が最初だったとしても重要なのは、その考え方です。当時の北米では、新鮮なトロが入手しにくく、生魚や海苔を苦手とする客も多くいました。そこで、アボカドをトロの食感に見立て、カニやキュウリと組み合わせ、海苔を内側へ隠した裏巻きが作られました。

日本でも、逆にアボカドの食べ方を聞かれたら、ご飯に海苔と醤油とワサビで食べるとあら不思議、大トロ!という人も多いと思います。アメリカではメキシカンなど色々インターナショナル&ローカルな食べ方はあります。

カリフォルニアロールの件は「本物の寿司を壊した」というより、寿司をアメリカ人が理解できる形へ翻訳した料理だったのではないでしょうか。外国の料理が別の社会へ入る時、最初から元の形のまま受け入れられるとは限りません。

日本でもそういうものはたくさんあると思います。例えば牛肉。日本人が牛肉を食べ始めた頃、大きな塊で食べるのに抵抗があったから薄切りにして醤油や出汁ベースの調味ですき焼きや牛丼にしましたね。当時のアメリカのようにステーキやジャーキーで食べていたわけではないです。他にもたらこスパゲティを発明したり、ナポリタン(ナポリにはない)やオムライスなど日本人の口に合うように工夫されていろいろな物が作られました。

食べ物が外国から入ってきた際に、現地で手に入る材料、食感、見た目、価格、衛生規則、客の好みに合わせて変化します。カリフォルニアロールは、寿司への入口になったということです。生魚が怖い人でも食べられる。黒い海苔が見えない。アボカドという親しみのある食材が入っている。

その入口から、スパイシーツナ、サーモン、握り、刺身、Omakaseへ進んだ人も大勢います。ローカライズは、本来の文化を薄める行為であると同時に、文化を遠くまで運ぶ技術でもあります。

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日本人は寿司の普及に尽力したのか

日本人と日系人は大きく尽力しています。

初期の食材調達、レストラン経営、寿司職人の育成、アメリカ人客への説明、現地食材を使った工夫、冷凍・輸送技術、スーパー向け寿司の開発など、多くの段階で日本人が関わっています。

たとえば、1980年代にアメリカのスーパーへパック寿司を広げたAdvanced Fresh Conceptsは、日本出身の石井隆司氏によって始められました。

Smithsonianの寿司コレクションでは、スーパーでパック寿司を販売することが当時は革新的だったことや、それが全米で寿司を日常化する一助となったことが紹介されています。

高級店だけでは、寿司は一部の都市の富裕層の食べ物で終わっていたかもしれません。スーパー、フードコート、空港、大学へ広がったことで、寿司はアメリカ人の日常生活に入りました。

日本人は、寿司をアメリカへ持ち込み、技術を伝え、現地化し、流通させる重要な役割を果たしました。ただし、寿司市場が拡大した後、そのすべてを日本人だけで運営することは人口的にも労働力的にも不可能でした。

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なぜ日本人経営の店ばかりにならなかったのか

まず単純な理由として、アメリカに住む日本人・日系人の人口は、巨大な外食市場を日本人だけで支えられるほど多くありません。アメリカの中でもアジア人は少なく、そしてアジア人の中でも日本人は非常に少ないです。

日本人が多い都市でも、日本食レストランの数に対して、日本人の料理人、経営者、従業員は限られています。しかも、日本からアメリカへ来る人の多くは、レストラン起業を目的に移住してきたわけではなく、企業駐在、研究、教育、国際結婚、専門職、留学など、移住経路はさまざまです。

駐在員は一定期間で日本へ帰ります。留学生も卒業後に残れるとは限りません。就労ビザは雇用主にひもづくことがあり、自由に店を開けるとは限りません。また英語ができなければホールのスタッフも難しいですし、逆に英語ができる人は別の職業を選ぶかもしれません。日本食のレストランがある、私は日本出身だからそこで調理や給仕で働こうとなる人の人口がそもそも少ない。

日本人がアメリカにいるからといって、その人たちが飲食業へ向かうわけではないのです。

また、レストラン経営は非常に厳しい仕事です。長時間労働、低い利益率、高い家賃、人材不足、食品衛生、保険、ライセンス、仕入れ、夜間・週末勤務など、多くの負担があります。

日系二世、三世、四世が教育を受け、専門職や企業勤務へ進めるようになると、親の飲食店を必ずしも継がないのは自然なことでもあります。これは「日本文化を捨てた」というより、移民家庭が社会的上昇を実現した結果とも考えられます。

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日本人移民は比較的「見えなくなる」

日本人移民や日系人について考える時、アメリカ社会への同化の早さも無視できません。

日系人は世代が進むにつれ、英語を母語とし、他民族との結婚も増え、地理的にも分散していきました。日本人街や日本語共同体の中だけで生活するのではなく、一般の住宅地、学校、職場へ溶け込んでいきました。日本人は、アメリカ社会の中で比較的「見えなくなる」ことが特徴的な移民集団とも言えます。

これは良い悪いではありません。社会に適応し、教育や専門職へ進み、居住地域を広げた結果です。しかし、その結果として、特定地域で日本人だけが労働力、資本、顧客を循環させる強いエスニック経済は、地域によっては維持しにくくなります。

日本人向けの店を日本人だけで支えるより、アメリカ人全体を顧客にした方が市場も大きくなります。そして顧客が多民族化すれば、経営者や従業員も多民族化していきます。

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他のアジア系移民が寿司市場へ入った理由

寿司市場が拡大すると、そこには雇用と起業の機会が生まれます。韓国系、中国系、ベトナム系などの移民が、日本食レストランで働き、調理技術や仕入れ、店舗運営を学び、やがて自分の店を持つようになりました。移民が、自分の出身国の料理だけを売らなければならない理由はありません。市場で需要がある料理を学び、商売にするのは、ごく自然な経済行動です。

寿司は、アメリカで認知度が高く、比較的高い価格を設定でき、健康的で現代的なイメージがあります。

一方、移民料理はしばしば「安くて量が多いもの」を期待されます。その中で、日本食はアジア料理でありながら、高級、洗練、健康という位置を得ました。

移民経営者にとって、日本食レストランは、自分の民族料理を安く売るより、経済的に魅力のある選択肢になる場合があります。また、アジア系移民同士には、米、魚、海藻、発酵食品、包丁技術など、料理文化上の近さもあります。まったく未知の料理というより、既存の技術を応用しやすい分野でもありました。

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「日本人が作っていない寿司」は偽物なのか

これは簡単には答えられない問題です。

明らかに質の低い寿司、酢飯が適切でない寿司、魚の扱いが危険な店、何でもソースをかけて「日本食」と呼ぶ店もあります。こういう時に日本で育った人が見て、「これは寿司とは違う」と感じることは当然あります。

文化的背景を無視し、日本らしさだけを商品として利用する店に違和感を持つ人もいるでしょう。ただし、料理人の民族だけで、料理の質や正統性が決まるわけでもありません。

日本人だから必ず寿司が上手いわけではありません。日本人以外でも、日本で修業し、魚や米を深く学び、寿司文化を尊重している料理人はいます。

逆に、日本人経営でも質の低い店はあります。料理は、血統だけで継承されるものでは決してなく、訓練、経験、材料への理解、衛生、技術、文化への敬意によって継承されます。日本を例にとれば、日本人がヨーロッパで修行を積んでパン、ピザ、フランスのお菓子などの賞を取り、日本でブランドや専門店を建てて大成功するエピソードなどはまさに職人に国境や血統は人種はないことを証明してくれています。

日本人以外が寿司を作ること自体を問題にすると、寿司は日本人だけの閉じた食べ物になり、世界に根づくことはできません。大切なのは「誰が作ったか」だけでなく、「何を学び、どう扱い、客に何を伝えているか」ではないでしょうか。

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アメリカン寿司は日本の寿司とは別の枝になった

アメリカの寿司には、クリームチーズ、アボカド、ハラペーニョ、白茶ソース、揚げ物、マヨネーズ、甘いソースなどが使われます。

派手な名前のロールが並び、何種類ものソースがかかっています。これは江戸前寿司とはかなり違います。

しかし、長い年月を経た今、アメリカン寿司は単なる失敗作ではなく、寿司から分かれた一つの料理文化になったと考えることもできます。

日本のカレー、ラーメン、ナポリタン、餃子、オムライスも、海外の料理や技術を日本で変化させたものです。日本人は外国の料理を日本人向けに変え、日本独自の食文化として育ててきました。

それなら、アメリカ人や移民が寿司をアメリカ向けに変えることも、文化の移動としては不自然ではありません。もちろん、江戸前寿司とアメリカンロールを同じものとして評価する必要はありません。それぞれ別の料理として楽しめばよいのだと思います。

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寿司が市民権を得たのは、所有権を手放したからでもある

寿司がアメリカで完全に市民権を得た理由は、日本人が守り抜いたからだけではありません。

日本人が持ち込み、教え、工夫し、広めた後で、日本人以外の人がそれを作り、売り、食べ、さらに変化させたからです。文化が広がるとは、ある意味で、元の文化の担い手だけでは管理できなくなることです。

誰でも食べられる。

誰でも作れる。

誰でも新しい形を考えることができる。

その段階に入った時、その料理は移民料理からアメリカ料理の一部になります。寿司は、日本人だけのものではなくなったからこそ、アメリカ社会に根づいたとも言えます。それは少し寂しいことでもあり、大きな成功でもあります。

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まとめ:日本人が種をまき、移民社会が育てたアメリカの寿司

アメリカの寿司文化の土台を作ったのは、日本人移民と日系人です。

日本の食材を持ち込み、店を開き、寿司を説明し、現地の食材に合わせ、アメリカ人が食べやすい形を作りました。

その後、日本の経済的・文化的評価が上がり、カリフォルニアロールなどのローカライズが入口となり、スーパーのパック寿司や郊外型レストランによって、寿司は全米へ広がりました。

しかし、日本人・日系人の人口は限られ、日系社会は戦争によって大きく壊され、世代が進むにつれて社会へ分散しました。

飲食業を代々継ぐ人ばかりではなく、教育や専門職へ進む人も増えました。

成長した寿司市場には、他のアジア系移民や多様な料理人が参入しました。

その結果、アメリカの寿司は、日本人だけが経営し、日本人だけが作る料理ではなくなりました。

これは、日本文化が奪われたという見方もできます。

しかし、日本文化がアメリカ社会に深く受け入れられた結果だと見ることもできます。

質の悪い寿司や、文化への敬意が感じられない店を批判することと、日本人以外が寿司を作ること自体を否定することは別です。

料理の価値は、料理人の民族だけで決まるものではありません。

日本人が種をまき、日系人が守り、さまざまな移民とアメリカ人が育てた。

アメリカの寿司は、そうした移民社会の共同作品なのだと思います。

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今日の英語

culinary culture
食文化、料理文化です。

immigrant cuisine
移民によって持ち込まれた料理や食文化です。

ethnic restaurant
特定の民族・地域の料理を提供するレストランです。

localization
現地化。商品や料理を、その地域の文化や好みに合わせることです。

assimilation
同化。移民や少数集団が、主流社会の文化や生活様式へ適応していくことです。

acculturation
文化変容。異なる文化との接触によって、双方または一方の文化が変化することです。

immigrant entrepreneurship
移民による起業・事業経営です。

ethnic economy
特定の移民・民族コミュニティの中で形成される商業・雇用ネットワークです。

authenticity
本物らしさ、正統性です。外国料理の評価でよく使われます。

cultural appropriation
文化の盗用。他の文化を、その背景や担い手への敬意なく利用することを指します。

cultural exchange
文化交流。異なる文化が互いに影響し合うことです。

fusion cuisine
異なる地域や文化の料理を組み合わせた料理です。

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参考リンク

米文化
この記事の著者
Kyoko Bartley

ニュージャージー在住。
幼少期からアメリカの映画やアニメーション、音楽に親しみ、大学ではアメリカ文化を専攻。留学・研究を経て2011年に渡米し、国際結婚、妊娠・出産、現地就職、住宅購入などを通して、外国人としてアメリカ社会で暮らすリアルを経験してきた。

2018年より、在米日本人向けアメリカ生活情報ブログ「なんだろなアメリカ」 を運営。教科書やガイドブックには載らない、実体験にもとづく生活情報や、文化の違いから生まれる「?」を「!」に変える視点を発信している。

また、プリンストンエリアを拠点に画家としても活動し、原画やグッズの制作・販売を行っている。

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