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アメリカで差別を受けた体験談|オハイオで感じた地域差と、海外生活で自分を守る心構え

生活
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こんにちはー。なんだろなアメリカのキョウコ@NandaroAmericaです。

自分の国を離れて、アメリカなど外国で暮らすことになると、長い生活の中で「自分はここでは異質な存在なのだ」と感じさせられる場面に出会うことがあります。

それがただの文化の違いで済むこともあります。言葉の違い、習慣の違い、食べ物の違い、距離感の違い。そういうものは時間とともに慣れていくこともできます。

けれど、中にははっきりと人種差別的なもの、外国人への偏見、アジア人への見下し、日本人に対するステレオタイプを向けられることもあります。

私は小さい頃からアメリカ文化に憧れ、大学でもアメリカ文化を学びました。歴史や政治的な出来事についても、最低限の知識はあったつもりです。アメリカには光も影もあることは、頭ではわかっていました。

でも、本や授業で知っていることと、自分が実際にその中で生活し、差別的な言葉や態度を向けられることはまったく違います。

私は2011年から2016年ごろまで、オハイオ州のある町に住んでいました。現在はニュージャージー州に住んでいますが、ニュージャージーでは移民も多く、日常的に人種差別的な不快な経験をすることはかなり少なくなりました。(ほぼありません)自分的には、この二箇所の違いは雲泥の差と言えると思っています。どちらもアメリカです。

一方で、オハイオに住んでいた頃は、地域性、生活圏、階層、人種構成、政治や宗教観の違いがかなり強く日常に出ていました。

この記事では、私がオハイオで経験した差別的な出来事と、それを通じて感じたアメリカの地域差、生活階層の違い、そして海外で自分を守るための心構えについて書いていきます。

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アメリカは地域によって本当に違う

アメリカに住むようになって強く感じたのは、アメリカは一つの国でありながら、地域によって人の考え方や社会の空気が大きく違うということです。

東海岸の都市部、西海岸の大都市、南部、中西部、大学町、農村部、郊外、高級住宅地、庶民的な住宅地。どこに住むかによって、日常の経験はかなり変わります。

ニュージャージーに来てからは、移民や外国出身の人も多く、スーパーや学校や病院などで、アジア人であることがそこまで目立たないと感じる場面が増えました。もちろん差別がまったくないわけではありませんが、少なくとも私の生活圏では、オハイオ時代ほど日常的に嫌な思いをすることは少なくなりました。

一方、オハイオに住んでいた頃は、自分がアジア人であること、日本人であること、外国人であることを、かなり頻繁に意識させられました。

これは、オハイオ全体が悪いという話ではありません。親切な人もいましたし、素晴らしい人もいました。ただ、私が住んでいた地域では、白人中心の地域文化が強く、移民や有色人種への対応に慣れていない人が多い印象がありました。

アメリカは「多様性の国」と言われますが、多様性が日常に根づいている地域と、まだかなり閉鎖的な空気が残っている地域があります。

この差を知らずにアメリカに来ると、かなり驚くと思います。

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日本人の生活圏によっても経験は変わる

オハイオ州にも日本人は住んでいます。

ただ、私が見た範囲では、企業の駐在、大学関係、研究職などで来ている日本人の方が多く、比較的収入が高く、教育水準も高く、治安の良いエリアに住んでいる方が多い印象でした。

もちろん全員がそうというわけではありません。ただ、駐在や研究職で来る日本人家庭は、会社や大学の支援があったり、住む地域をある程度選べたりすることがあります。そのため、高級住宅地や学区の良い地域に住んでいる方が多かったのです。

私は、アメリカで出会った相手と国際結婚し、そのままオハイオに住むことになったタイプでした。経済的にも、駐在家庭や研究職家庭のような余裕があったわけではありません。オハイオ州の中でも、平均的な世帯収入に近い生活圏に住んでいました。

そのため、同じオハイオに住む日本人でも、見ているアメリカが違いました。

高級住宅地に住む方には、私が日常的に感じていた治安の不安や、スーパーやバス停での嫌な経験を話しても、あまり実感として伝わらなかったことがあります。

これはとても大事な点だと思います。

アメリカで差別的な経験をするかどうかは、本人の人種や国籍だけでなく、住む地域、生活水準、移動手段、行くスーパー、使う病院、子どもの学校、近所の雰囲気などにかなり左右されます。

「私はアメリカで差別されたことがない」という人もいれば、「毎日のように嫌な思いをした」という人もいます。そのどちらも本当なのだと思います。

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住宅地の階層と治安の現実

アメリカでは、住宅地の階層が生活の安全や人の意識に強く関わっていると感じます。

高級住宅地には、高所得、高学歴の人が多く住みます。家の手入れも行き届いていて、学校区も良く、治安も安定していることが多いです。そういう地域では、あからさまな差別的な言動に遭遇する頻度は低くなるかもしれません。

ただし、高級住宅地だから差別がないという意味ではありません。むしろ、表に出にくい形の排他性や、暗黙の了解としての人種的な偏りが残っている場合もあります。

私がいた地域の近くにも、白人以外が住みにくいと言われるような雰囲気の高級住宅地がありました。お金を持っていても、有色人種がそこに住むとなると、本当に受け入れられるのだろうかと疑問に感じるような場所です。

一方で、私たちが住んでいたような庶民的な住宅地では、治安の不安もありました。近くのスーパーや大学周辺、ATMなどで小さな発砲事件や揉め事があったり、夜間に一人で外を歩くのは避けるべきだと感じる地域でした。近所での小競り合いを警察に通報したこともありますし、車上荒らしに遭ったこともあります。

もちろん、貧しい地域に住む人が悪いということではありません。けれど、貧困、薬物、地域の荒れ、教育格差、治安の問題が重なる場所では、日常の緊張感が違います。

そして、そのような生活圏では、外国人やアジア人である自分がさらに目立つことがあります。

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白人中心の地域で感じた見えない壁

オハイオに住んでいて、私が何度も感じたのは、白人中心のコミュニティにおける見えない壁です。

白人の中にも、親切な人、教養のある人、リベラルな考えを持つ人、差別に反対する人は当然います。私の夫の家族も、教育や研究に関わる仕事をしており、考え方としてはかなり進んだ家庭だったと思います。

それでも、夫が育った地域は、非常に白人中心で、保守的な空気の強い場所でした。

学校の教育レベルは高い。学区も良い。治安も良い。けれど、人種的にはかなり偏っている。多文化共存や移民への理解という点では、非常に閉鎖的な部分がある。

親としては、教育レベルの高い地域に住みたいと考えるのは自然です。でも、その地域が人種的に非常に偏っていて、有色人種や外国人にとって居心地が悪い場合、何を優先するのかという問題が出てきます。

教育水準を取るのか。

多様性のある環境を取るのか。

治安を取るのか。

子どもが異質な存在として見られない環境を取るのか。

アメリカでは、この選択がとても現実的な問題になります。

私は夫を通じて、白人として生きるアメリカと、アジア人として生きるアメリカがまったく違うことを何度も感じました。

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夫と一緒にいる時と、一人でいる時の違い

私の夫は白人です。

スーパーやモールに夫と一緒に行くと、白人の人たちが夫に自然に話しかけ、娘を褒め、ちょっとした立ち話をする場面がよくありました。店員以外の人からも、親しげに声をかけられることが多かったのです。

一方で、私が平日に一人で娘を連れて買い物や病院に行く時には、そのような白人からの自然な親しさを感じることはかなり少なかったです。

むしろ、気軽に話しかけてくれたり、助けてくれたりしたのは、黒人の方やアジア系の方が多かったです。スーパーで食材について話しかけてくれたり、子どもが泣いた時に気にかけてくれたり、雪の中で困っている時に助けようとしてくれたりしたのは、有色人種の方が多かった印象があります。

最初のうちは、たまたまだと思いたかったです。でも数年住んでいるうちに、あまりにも偏りがあることに気づきました。夫と一緒にいる時は、私は白人コミュニティに少し近づく。一人でいる時は、私はアジア人の外国人として見られる。この違いは、かなりはっきりしていました。

夫は、私が一人で経験した嫌なことを、自分の人生では経験しません。彼はアメリカで白人男性として生きてきたので、私が平日に一人で受けた視線や言葉や態度を、同じようには知らないのです。これは夫が悪いという話ではありません。

ただ、同じ家族で、同じ地域に住んでいても、見えているアメリカが違うということです。

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「アジア人」として受けた偏見

オハイオに住んでいた頃、私は「日本人」としてだけでなく、「アジア人」として見られることが多かったです。

多くの人は、外見だけで中国人、韓国人、日本人、その他のアジア人を区別していません。そもそも区別しようともしない人もいます。

もちろん、教養と配慮のある人は、相手を一人の個人として見ようとします。その人の背景や文化を勝手に決めつけず、差別的な発言を避けます。

でも、そうではない人もいます。子ども連れでバーガー店にいた時に、子どもからアジア人に対する差別的な言葉を執拗に向けられ、その親が止めなかったことがあります。高齢の女性から、なぜこの地域にアジア人がいるのかという趣旨のことを言われたこともあります。

病院で血液検査を受けた時、看護師が私の血管に針を刺しづらかったらしく、アジア人に対する軽蔑的な言葉を口にしたこともありました。バスの中で、私に聞こえるように、アジア人や留学生への嫌悪感を話している夫婦がいたこともあります。スーパーのレジで、私には売りたくないというような対応をされたこともありました。後ろに夫が現れると態度が変わったので、余計に不快でした。

一つ一つは、その場で命に関わるようなことではありません。でも、こうしたことが重なると、自分がその場所で歓迎されていないのだという感覚が積み重なっていきます。

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「日本人」として向けられたステレオタイプ

アジア人としてだけでなく、日本人として見られた時にも、嫌な思いをしたことがあります。酔った人から、日本に帰れという趣旨のことを言われたことがあります。日本人女性に対する性的なステレオタイプをからかわれたこともあります。日本人なのだからお金を持っているだろうと言われたこともあります。

銀行員から、日本人は金持ちだけれど過労死するんだろう、というような、何が言いたいのかわからない発言をされたこともありました。

日本人に対するイメージは、アメリカでは時に「お金持ち」「真面目」「働きすぎ」「おとなしい」「文句を言わない」「女性は従順」など、さまざまなステレオタイプと結びついています。それが好意的なように見える場合でも、本人を一人の人間として見ていないという点では、やはり不快です。

「日本人だからこうだろう」

「アジア人だからこうだろう」

こうした決めつけは、相手を個人として見ていないということです。

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大学や職場でも差別は起きる

差別的な言動は、道端や店だけで起きるわけではありません。

大学や職場のような、表向きには教育やプロフェッショナルな場であっても起きます。

私が通っていた大学では、ESLの教師から非常に不快な対応を受けたことがあります。私の英語や論理を不当に見下すような発言をされ、個人的に話があるからランチをおごれというような、理解しがたいことも言われました。

私はその場で冷静に反論し、後でディレクターと本部に報告しました。その教師は以前からアジア人学生に対して問題があることで知られていたようで、その後謝罪はありましたが、私の怒りは簡単には消えませんでした。

また、別の教師が韓国人学生に対して差別的な言葉を発したという話も聞きました。さらに、ムスリムの留学生への差別的対応が問題になった教授のニュースを後に見たこともあります。

本来、大学や教育機関では、Racial Sensitivity Trainingのような研修が行われているはずです。それでも、差別的な感覚を持った人が一定数いるという現実があります。

そして、アジア人学生は強く抗議しないだろうと見下されることもあります。この時、私はとてもはっきり学びました。不当なことをされたら、記録を取り、必要な相手に報告すること。自分の尊厳を守るために、冷静に言葉にすること。黙って我慢することが、必ずしも平和的な解決ではないということ。

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差別する人の中で何が起きているのか

差別的な態度を取る人には、いくつかの共通点があると感じます。

まず、自分が何らかの意味で優位な側にいると思い込んでいることです。人種、文化、国籍、言語、宗教、階級などを使って、相手より自分のほうが上だと勝手に位置づけます。

そして、その偏った物差しを使って、相手を下に見る。さらに問題なのは、その考えを心の中に持っているだけでなく、実際に言葉や態度として相手に向けることです。

相手を不快にする。

相手を萎縮させる。

同じサービスを受けにくくする。

相手の尊厳を傷つける。

この一連の行為には、単なる無知だけでなく、攻撃性や支配の感覚が含まれていると思います。差別は、ただ「嫌なことを言われた」という軽い話ではありません。相手を一人の人間として対等に扱わないことです。そして、その場にいる人の安全感、自尊心、社会への信頼を傷つけます。

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差別された側に残るもの

差別的な言葉や態度を受けた時、その場で言い返せることもあれば、言い返せないこともあります。

突然のことで固まってしまうこともあります。子どもが一緒にいるから、その場を離れることを優先することもあります。相手が酔っていたり、明らかに危険そうだったりする場合は、反論しないほうが安全なこともあります。

でも、その場を離れた後も、心には残ります。

なぜあんなことを言われなければならなかったのか。

自分は何もしていないのに、なぜ攻撃されたのか。

この地域では自分は歓迎されていないのか。

子どもにも同じようなことが起きるのではないか。

そういう不安が残ります。

差別は、その瞬間だけの問題ではありません。後からも思い出し、警戒心として残り、生活の中で自分の振る舞いを変えさせます。

どの道を歩くか。

どの店に行くか。

誰の前で日本語を話すか。

子どもを連れてどこまで行くか。

そういう判断に影響してきます。

だからこそ、差別は軽く扱われるべきではありません。

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それでも悲観しすぎないために

ここまで読むと、アメリカで暮らすのが怖くなる方もいるかもしれません。でも、私はアメリカ全体を悲観的に見ているわけではありません。

アメリカには親切な人もたくさんいます。困った時に助けてくれた人もいます。違う文化を尊重しようとする人もいます。差別に反対し、声を上げる人もいます。

私が今住んでいるニュージャージーでは、オハイオ時代ほど日常的に嫌な思いをすることは少なくなりました。地域によって、本当に暮らしやすさは変わります。

だから、アメリカで差別されるかもしれないからといって、必要以上に怖がる必要はありません。ただ、何もないと思い込まないほうがいい。

不当なことをされたら、自分を責めるのではなく、状況を冷静に見て、必要なら距離を取り、記録し、報告すること。この心構えは持っておいたほうがいいと思います。

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差別を受けた時にできること

差別的な出来事に遭遇した時、まず一番大事なのは安全です。

相手が酔っている、怒っている、攻撃的である、周囲に人がいない、子どもが一緒にいる。このような場合は、その場で戦うよりも、まず離れることを優先したほうがいいです。

一方で、大学、職場、病院、銀行、店など、相手が組織に属している場合は、できるだけ記録を残すことが大事です。日時、場所、相手の名前、言われた内容、周囲にいた人、どのような対応をされたかをメモします。必要であれば、上司、責任者、人事、学校のディレクター、カスタマーサービス、関連機関に報告します。

感情的になりすぎず、事実を整理して伝えることが大切です。

「私は不快でした」だけではなく、「このような発言があり、これは人種や国籍に基づく不適切な対応だと感じました。今後同じことが起きないよう対応を求めます」と伝えるほうが、組織としても動きやすくなります。

もちろん、毎回すべてに対応する必要はありません。その場を離れるだけで精一杯の日もあります。後で思い出して悔しくなることもあります。でも、何かできる時には、自分の尊厳を守るために声を上げていいのです。

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自分自身が差別しないためにも考え続ける

差別を受けると、どうしても警戒心が生まれます。

私自身、オハイオでの経験を通じて、有色人種の方に助けられた記憶が多く残り、白人中心の地域に対しては構えてしまうようになりました。これは、経験からくる自己防衛です。

ただし、その警戒心が自分の中で新たな偏見にならないように、考え続ける必要もあると思っています。差別を受けたからといって、今度は自分が誰かを雑に決めつけてよいわけではありません。

白人にもいろいろな人がいます。黒人にも、アジア人にも、ラティーノにも、中東系にも、移民にも、ネイティブのアメリカ人にも、それぞれ個人があります。人種や文化を意識せずに生きることは難しいです。現実には、社会の構造や経験の積み重ねがあります。けれど、その中でも、相手を一人の人間として見る努力は失いたくないと思います。

差別を受けた経験は、自分の心を硬くします。だからこそ、自分の言葉や態度も時々見直したい。

自分がされたら嫌だったことを、別の誰かにしないようにしたい。

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まとめ アメリカで差別を受けても、自分の価値は変わらない

アメリカで暮らしていると、地域や生活圏によっては、差別的な言葉や態度に出会うことがあります。

私もオハイオ時代に、アジア人として、日本人として、外国人として、何度も嫌な思いをしました。当時はまだアメリカに来て間もなく、精神的なダメージも大きかったです。恐怖も悲しみも怒りもありました。

でも、時間が経つにつれて、少しずつ冷静に捉えられるようになりました。差別する側の言葉は、その人の無知や偏見や攻撃性を表しているのであって、こちらの価値を決めるものではありません。

不当な扱いを受けた時、傷ついて当然です。怒って当然です。悲しくなって当然です。でも、自分が劣っているわけではありません。自分の国や文化や言語が劣っているわけでもありません。

アメリカには、光も影もあります。

多様性を大切にする人もいれば、古い偏見を持ち続ける人もいます。地域によって空気も違います。住む場所によって、経験も大きく変わります。

だからこそ、アメリカで暮らす人には、少しの知識と心構えが必要です。

だからこそ、自分もできる限り、相手を一人の人間として見る努力を続けたいと思います。

アメリカ生活には、苦い経験もあります。

でも、その経験を言葉にすることで、これから来る人や、今まさに似たような状況にいる人の助けになるかもしれません。

もし今、アメリカで差別的な経験をして苦しんでいる方がいたら、伝えたいです。

あなたが悪いわけではありません。

あなたの価値は、誰かの偏見で下がるものではありません。

どうか、自分を責めず、必要な時には助けを求めてください。

生活
この記事の著者
Kyoko Bartley

ニュージャージー在住。
幼少期からアメリカの映画やアニメーション、音楽に親しみ、大学ではアメリカ文化を専攻。留学・研究を経て2011年に渡米し、国際結婚、妊娠・出産、現地就職、住宅購入などを通して、外国人としてアメリカ社会で暮らすリアルを経験してきた。

2018年より、在米日本人向けアメリカ生活情報ブログ「なんだろなアメリカ」 を運営。教科書やガイドブックには載らない、実体験にもとづく生活情報や、文化の違いから生まれる「?」を「!」に変える視点を発信している。

また、プリンストンエリアを拠点に画家としても活動し、原画やグッズの制作・販売を行っている。

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