13 ボストン虐殺事件跡
Boston Massacre Site (U.S. National Park Service)
1886年、オールドステートハウスの前に、13の丸い石畳のサークルで構成される「円形の車輪状」の記念碑が設置されました。最初にイギリス兵によって殺された人が倒れた場所がこうやってレンガで残されています。
革命の最初の流血事件がオールドステートハウスの前で起きました。このボストン虐殺事件が、アメリカが独立戦争に踏み切るきっかけとなった出来事です。
1770年、イギリス軍による2年間の占領の後、ボストンの緊張は最高潮に。ボストン虐殺事件では、イギリス軍の兵士が無抵抗の市民に発砲し、多数の市民が死傷しました。
3月5日、かつら作りの見習いが第29連隊の兵士と請求書の論争で口論になりました。「火事だ」の声が人々を通りに集め、現場は混乱。人々はバケツや武器を持って集まる騒ぎに。
イギリスの兵士は援軍を呼ぶと現場の対立がエスカレートし、1人の兵士が殴られて倒れ、立ち上がる際に発砲。他の者も同様に発砲しましたが、これは正式な命令はなく、無抵抗の市民に向けて発砲したことがネックに。この発砲により、数人の市民が死亡し、数人が負傷しました。
この事件で亡くなった市民は、クリスパス・アタックス、サミュエル・グレイ、サムエル・マーティン、ジェームズ・カルドック、パトリック・カーといわれています。この事件は、アメリカ独立戦争への憤りを高め、イギリスと植民地の関係を一層緊張させる要因となりました。