11 オールド・サウス集会場
Old South Meeting House (U.S. National Park Service)
尖った屋根が特徴的です。
1669年、50人の男性と女性が、ボストンの第一教会とその教会員資格や投票権に対する知見の狭さに反論しました。これらの「異議を唱える民衆」は、市民権に対するより開かれた教会を作りました。
1729年に彼らが新しい集会所を建てた場所が今日のオールドサウスミーティングハウスです。レンガと木造でできており、こういった素材は彼らのピューリタン信仰の象徴でもあります。
またこの場所は、アメリカ独立戦争の前に活発な討論の場となりました。ジョセフ・ウォーレン博士などの演説者がボストン大虐殺を追悼し、他の不平等な法律に抗議た場所でもあります。
植民地がイギリスの支配からの独立を選ぶに至った際の背景には、植民地の市民とイギリス軍との緊張がありました。植民地の市民は、イギリス政府の課した税金や制限に不満を持っており、これに対する抗議活動が日常的に行われていました。
1773年、数千人がオールドサウスミーティングハウスに詰めかけ、東インド会社の茶とそれに課された税に抗議しました。彼らの最後の会議によりボストン茶会事件が勃発し、ボストン市民が92,000ポンドの茶を海に投げ込んだことで、戦争と独立を促進しました。
ボストン包囲戦中には、イギリス兵士は教会の内部を破壊し、床に土を敷き詰め、乗馬場に変えるという酷い目に遭いました。