アメリカで体験した怖い話シリーズ4です。第4回目はオハイオの留学先で遭遇した宗教おばさんがストーカー化した怖い話です。
嫌な方はスルーしてくださいませ!(ツイッターで載せた話に所々補充しています。)
留学して最初にお世話になった方が宗教&ストーカー気質だったお話。
こんにちは、なんだろなアメリカにようこそ。キョウコ@NandaroAmericaです。
先日ツイッターで怖い話を連投したら好評だったので、こちらでも読めるように記事にしました。
読み物なので、いつもの記事とは違って、ぶっ続けで書いています。
私がアメリカに来たのはもともと留学ででした。
東海岸の大学院に進む予定だったのですが、前にちょっと語学もやっておこうと、オハイオの州立大学でお世話になることになりました。 (その後結婚したのでスタートしなかったんだけど)
9月第2週に大学が始まるのだけれど、一応数日前に現地について準備をしておきたいということで、日本にいる間にオハイオの知り合い(アメリカ人)に、止めてもらえないか尋ねました。
知り合いは、高齢のため運転はしないから、知り合いの家族を紹介する、と言って、同じ教会に通うファミリーを紹介してくれました。
ファミリーのお母さんが事前に私と連絡を取って、空港に迎えに来てもらえる時間や、滞在する日数の段取りなどを交わした。 とてもいい人と感じたけれど、毎回メールの末尾に、聖書からの引用が添えられていた。 私は敬虔な人なんだな、と思った。
私自身は無主教ー(どれも否定しないけれど、どれも特に信仰せず、信心している人の考えは尊重する)の考え方なのだけど、時々、こうやってメールなんかに自分の信仰の一文を添えるって、どういうことかな、など考えるようになった。
私が仏教徒だったとして、神道とわかっている人へのメールに何かブッダの言葉を書く?イスラムの方だとわかっていて、ブッダはこう言った、こう考えるといい、ブッダはこういう時こうだーと異教徒・異文化の方に、言う?わざわざ。
まあ、アメリカ人って、外国の人とか、異文化の人とかへの興味も情報がすごく少ない人の割合が多くて、別の文化圏の人なんかへの対処も、配慮も結果として残念あがら足りずに不快にさせてしまうことが多くて、多くの異文化の人はおおらかに、穏便に、指摘せずに済ませているんだよな、とは思った。
アメリカ人とやりとりは今まで星の数して来たのだが、ビジネスでもプライベートでも、自分の宗教の引用をしてくるって、そう滅多にない。(ゼロではない)多分、オフィスや会社によっては、ダイバーシティの訓練を受けている人たちは、こういう話題はタブー視するのが多いと思う。都市部だけではなく、アカデミアや、公共機関ではこういう話題にとても敏感なはず。
だけど、私側には別に無下にする理由もないし、それこそ失礼だし、自分が新約・旧約聖書の知っている範囲だけれど、まあ、理解しようと努めた。
私自身は信心しないけれど、大学の時など帰りに教会で英会話を教えてもらったり、マナー程度、キリスト教の歴史などは一応かじったので、少ない経験の中では、ちょっとだけ、理解というか、とっかかりはあったんだ。しかし、実際のアメリカでの信仰のされ方がどうであるかまでは体験していない。
オハイオについてそのご家庭に数日お世話になった。
とても広いお家で、家のそこら中に色々キリスト教関連のものが飾ってある。これはアメリカ中、多くの御宅で目にする光景である。 お食事の前にお祈りもする。時々私がスピーチを求められる。これも自然な流れである。私からしたら異教徒ながら、食事の前のお祈りを振られるのはプレッシャーだけど、あちら側はむしろ親しみを持って勧めてくれているのであって、私が受けないわけにいかない。
学校開始日にReplacement Testがあるので、学校の寮の生活が始まるまでは是非とも家にこもって勉強だけしていたかったんだけれど、おばちゃんは私に街を見せようと、公園や散歩道やお店など色々連れて行ってくれた。
申し訳ないけど、Replacement Testは私にとってとても大事なので、朝夕のお散歩やお使いはご一緒するし、手伝うけれど、それ以外は勉強したいのです、と伝えた。
しかしながら、朝ごはんをいただいた後に必ず彼女は大きな聖書を開いて、今まで自分がどれだけ聖書を読み解いてきたか、自分がどれだけ他の人と違って、聖書の本当の意味を解読できているかを語り出した。
悪いけれど、私からしたらこれはたけしのテレビタックルに出てくるちょっとアレな人と同じにうつった。
おばさんは、聖書を読み解き、本当の意味を理解したところ、クリスマスにクリスマスツリーを飾れという文章は聖書にない、と言い始めた。
私は、明らかにそうだろう、しかし、クリスマスツリーをクリスマスに飾るのは別にジーザスの命令でやっているわけではなくて、長い歴史で育んだ文化だからいいじゃないの、というスタンスである。でもおばさんは「聖書でジーザスが言っていないのだから、やるべきではない」という考え方なのだ。
難しい。
他にも、審判の日はもうすぐだ、とかハリウッドは悪だ、ディズニーは悪だ、日本の地震は人工地震だ、とか、進化論はありえない、などが止まらない。
残念ながら私はそういう話題の真意よりも、本来の留学の目標を達成することが先なので、話し合う気はなく、ああ、そうですか、くらいの応答しかできなかった。
この人はどういうわけか、聖書を読んでいるうちに被害妄想やゴシップと同レベルのコンスピラシーセオリーにどっぷり浸かってしまったのかな、と感じた。さらにどうもFlat Eartherな感じだった。
本当にいるんだね、特にこの地域(オハイオ周辺)には。と私はびっくりしたよ。どうしたらこうなるの。
んで、大学寮に入る際、とてもお世話になりましたと挨拶して、お別れした。確かに大変お世話になった。友達の友達を泊めてくれて、さらに学校まで送ってくれているわけで、大変なことです。私はちゃんと費用は払っているけれど。
で、学校が始まってから、週末おばさんは寮を尋ねて来た。
ここからは私の想定外。 学校に着いたら、周りにはスーパーなどあるし、特に大きな買い物もないので、大学と寮に籠って勉強できると思っていた。 (私は昔から一人こもって勉強するタイプなのです) しかしながら、おばさんは毎週末、私を連れ出そうとして尋ねて来た。
私は土曜日はまるまる寝て、買い出しをして、日曜はたまった宿題とテスト対策ーなどと予定していたので、別に大学外に遊びに行きたい気持ちはなかった。この期間は超集中英語勉強漬けにするつもりなのは伝えてある。
実際英語での授業離れるなで私にはかなり大変で、課題(リサーチとか)もディベートなんかのグループワークも多くてこれは相当気合を入れないとヤバい、という感じだった。
で、おばさんはどうやって尋ねてくるのかというと、寮がホテルみたいなシステムになっているのだけれど、まず家族や知人の訪問はロビーで身分証を見せて受付けしなければならないのね。(その先は、学生証=鍵がないと入場できない。)そしてロビーの人が私に電話をかけてくる。それで私がロビーまで迎えに行くシステム。訪問者はまず私が現れるまで、管理人が常駐するロビーで待っていなければいけない。
で、私はある週末、友達と大学の周りで食事をしたり、その後夕方まで図書館でグループワークの課題をやったりして、寮に戻ったのが暗くなってからだった。
しかし、寮の入り口の学生証をスキャンするところにサングラスをかけておばさんが立っていた。
びっくりした。 で、なんで今日は連絡が取れなかったの?みたいなことを聞いて来た。サングラスをかけているところがなんか確信犯っぽいし、連絡も来てない。ただずっと待ち伏せしていたのね。ドン引きである。
大学寮に住んでいたことがある人は知っていると思うけど、学生寮に住んでいない人がここまで入ってはいけないルールがある。 教授や講師なども寮に入ってはいけない。学生証をスキャンしてドアが開いてビルに入って行くところで待っているなんて、安全の面からして完全におかしい。
ましてやこのおばさんはそれを知っていて(自分の息子も大学卒業していて、今時の学生寮の仕組みは息子が1年生時に経験しているはず)やっている。砦となるロビーで待たずに、人目のないドアの前でサングラスしてるって。
私は、悪いけど本気で距離を置こうと思いました。
その時、夕飯を一緒に食べる約束になっていた同じ寮のクラスメイトと遭遇して、彼が「もうすぐ夕飯いく?」と言ってくれた。
そしたらおばさんは、彼女が奢るからみんなで行きましょうと言いました。 私はどうすればいいのかわからずモタモタしていたら、友人が数人集まってしまい、大勢で行くことになった。
学校の近くのパネラに行って一人$12くらいご馳走になった。私は自分で出すからいいよと言ったんだけど、こっちの人は出すと行ったら、遠慮とかいいから、出してもらえばいいって感じで、(学生だしね)まあ、ご馳走になったのね。(パネラは前払い)
そして、食べていたら、おばさんはバッグの中から宗教の勧誘のパンフを出し始めた。 みんなちょっと引いた。
私には日本語、この人はどこから来たんだ、じゃあベトナム、中国、スペイン語、と一人ずつ母語に対応してるのをくれた。 おばさんは単に人を集めて話す時間を設けて、勧誘したかったんやな。
食事が終わって帰る際、一人の子がThank You.を言わなかったらしい。それが気に入らなかったらしいおばさんは、彼はThank Youを言わなかった。(国名)人はこれだからな、みたいなことをその子に言った。
この人はアメリカの典型的な「悪い例」の自分が世界中心になっていると錯覚している人とわかった決定打だった。「奢る」って言ったくせに、っていう話ではない。単に人種差別なのである。
こういうタイプの人は本当に悪質。なぜなら、本人に自覚がないから。自分が上だと思って今までずっと生きているから、頭の中が18世紀くらいのまま、現在の世界が見えていない。
今まで私を含め、異国の人、肌の色が違う人を表面上差別しなかったのは「私は敬虔で善良だから」と、装っていたわけで、人物の本質的なところは情緒的にも哲学的にも、成熟しているわけではない。自分の宗教を他人に押し付けてくるのも、結局は自分が一番、そして他人の尊重をできていないから。それでいて無教養だから、その矛盾に気づかず、敬虔な気持ちと信仰を真の意味での自己向上につなげられていない。
信仰とはなんだ。生き方と魂の向上に役に立てられてないんだったら、宗教に対して失礼である。こんなの、特定の宗教を使って自分を善良だとラベリングして、通行手形のように使っているだけで、生き方としてちゃんちゃらおかしい。と私は心の中で怒った。
友人たちと後日、あのおばさん怖かったよねとなり、私は寮のロビーのおばさんに、こういう人が週末くるかもしれないけれど、私は会いたくないし、私の友達も会いたくない。ちょっとおかしい。と伝えた。
しかし、Thanksgivingがきて、(学校も相変わらず忙しいんだよ)その頃大量の洋服を買って、おばさんは再登場した。大きな紙袋を持って。
Thanksgivingにこれ着てうちにおいでよ、と。(私一人なのになんで20着くらい服があるの)で、私は受け取れないし、Thanksgivingも何もないくらい勉強が忙しい、毎週テストや発表があるし遅れ気味だから、連休は体を休めて勉強したいんだと伝えた。 もっと良い断り方があったと思うが、こんな言い方をしてしまった。 これで気分を害したかどうかはわからないが、私の方はすでに怖かった。
で、サンクスギビングに私に日本の実家にカードが入ったらしい。母曰く、ハンドライティングで解読不能だったので手書き部分がわからない。 私は、気にしないでいいよ、と言った。
で、封筒に入っていたのが例の日本語の宗教の勧誘のチラシ。 母も呆れていた。
私は思い切って「あなたは素晴らしい人です。これからは勧誘などしないで友達としてお付き合いできませんか」と聞いた。(しかしちゃんとした英語だったか自信はない。) そのあと、おばさんはもう現れることがなくなった。
で、私は何気なくキリスト教のクラスメートに、信者だからってノルマはないよねえ、と聞いた。(汗) そしたら、友達いなくて寂しいから身近な人を増やしたいんじゃないのと言われた。(涙)
紹介程度ならいいんだけど、私も友人も留学生で、そんなに精神的・哲学的に変わろうという状況ではないし、実家の母も今更改宗とかありえん。
聖書やキリスト教の歴史をを勉強しても、それを信仰するかどうかは別だ。
外国人観光客が教会とか寺院とか、建築を見学とかはしたとしても、改宗まではなかなかないしな。
まとめ:
その頃この話を2ヶ月くらい相談していた夫と、その後結婚しました。(なんだそれ)
おわりです。