アメリカ在住日本人妻が8月15日に祈ること【超巨編】

この記事では、毎年夏になると考える第二次世界大戦、日本、アメリカのことについて、私の考えをまとめました。 戦争や平和や感情などを扱ったとても重い記事ですが、私の現在の考え方に至ったことを細かく書いています。

アメリカも日本も好き、しかし戦争のことを考えると自国への感情も無視できず、どういうスタンスを取ればいいのかよくわからない、という方に読んでいただけたら嬉しいです。

 

戦争・日本・米国・そしてアメリカ人との国際結婚について考える

みなさんこんにちは~なんだろなアメリカのキョウコ@NandaroAmerica です。

8月6日、広島原爆の日、8月9日長崎原爆の日、その頃は必ず、北米の東北部では、木々の葉っぱがわずかに黄色くなりだし、ポツポツと葉っぱが落ち始めます。

暑い日差しの中黄色くなり始める葉をみると、日本で何度も教わった太平洋戦争の教育を思い出し、戦争犠牲者に対し自然と追悼の意を込めて色々考えます。

日本からアメリカに住むようになった身として、この時期は辛いです。アメリカはなぜ軍国であるのか、とか、日本はなぜこの時期になると突然平和を尊ぶのか、とか、アメリカはいまだにバンバン戦争をしている、とか。

戦後73年はアメリカをどう変えたか

2018年は戦後73年です。特にトランプ政権の現在は、アメリカと日本が戦後の同じ時間を歩みながらも違う方向を見ている点に色々考えさせられます。

トランプ政権になってから、アメリカは国内でも思想の分断が顕著となり、誰もが政治的意見や人種、性差別的な話題に明らかにピリピリするようになり、また差別的な考え方が以前より日常生活に現れる場面が増えました。


アメリカは本来移民を受け入れ、自由と平等の信念のもとそれぞれの幸せを追求できる新天地であったはずですが、この2年間は病んだ姿ばかり浮き上がり、水と油が分離していくような雰囲気さえ感じます。

アメリカはどこへ向かうのか。オバマ大統領が築いてきた礎は破壊され、明らかに平和よりも敵対、権力、恐怖をかざす国になっています。明らかに(国内が)平和から遠ざかっている。とても不安に思います。

現在アメリカ国内で思想の分断が顕著

こういった思想の分断や内部の敵対というのはアメリカに住んで生活しないとなかなか感じ取れないことではありますが、具体的には右翼と左翼の分かれ目において哲学の根本的な違いがあります。

これは政治の影響で自分の生活が影響を受ける「住民」というポジションにならないとなかなか真剣に見ようとは思わないことですね。

そして、政党と思想がどういう繋がりがあるのかも、理解に時間がかかります。毎日ニュースを聞いたり、何か大きな問題が起きるたびに政党のスタンスを把握するのは結構な努力が必要。

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「いまだに南北戦争である」by 旦那

あるいはかなりポリティカルな家族と一緒に住んでいないとなかなか難しいです。うちは夫の実家はとてもポリティカルです。

彼らの発言や考え方からアメリカを垣間見ることができますが、一番学んだことは「アメリカはいまだに南北戦争である」ということ。基本的に南部と北部(など)の考え方は違うんです。

違いの内容が激しいために、敵対意識も強く、選挙の前になれば多くの家の前に支持政党の立て看板を掲げて主張したり、時には挑発したりを平気でやっています。そこで、「あのお宅とは絶対仲良くなれない」など近所づきあいなんかも左右されたりします。

ワシントン記念塔2004年夏

 

第二次世界大戦を感じなくなっているアメリカ

私はアメリカに住むようになってから、特に8月は意識して日本の敗戦はなんだったのかについて深く考えるようになりました。

なぜか。

私が日本で育った日本人である感情的な理由が一つ、そして、アメリカでは驚くほど原爆の日について取り上げないため、ややもすると私の中でも風化してしまいそうになるからです。

それは日本と違ってここは敗戦国ではなく、勝利国であることだからが一番の理由だと思います。

ワシントンDCでは毎日戦没者、無名戦士の墓、その他のモニュメントにて黙祷をしていますが、たいていの州、街ではそこまでのことはしていません。

海軍追悼 2004年夏 ワシントンDC

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忘れられない2004年夏、ハーバード大学にて

14年前の長崎の日に私はハーバード大学の生協の本屋にいました。そこで教科書の古本を安く買おうと色々見ていましたが、アメリカの空軍の台頭に関する本を座って読んでいました。

そこに白人のハーバードの学生が「今日は長崎の日だね」と声をかけてくれました。 さすがハーバードの学生だな、アメリカ人でも詳しいな、と感心しました。

わたしは日本人であり、アメリカは好きだけれど、アメリカと第二次世界大戦について、自分の知識に疑問をを持っているから、アメリカではどう教わるものなのか知りたいのでこの本を手に取ってみたと説明しました。

ハーバード大学 2004年夏


アメリカ人青年と3時間床に座って話し込む

意気投合した我々は、日本とアメリカという立場を超えて、一体WW2という歴史上のイベントはなんだったのかをその場で長く語り合いました。

おそらく3時間くらいは生協の床に座り込んで話し込んだと思います。彼は歴史について学んでいるわけではないですが、とても知識量が多く、聞いていて感動しました。

なぜかというと、第二次世界大戦について彼自身の感情を入れずに、実に哲学的、人間愛の観点から、戦争は二度としてはならないという結論に淡々と至っていたからです。

私が日本人だと知って無難で平和的なことをその場で繕って言ったのではありません。彼の考えでそう至っているのでとても聞いていて迫力がありました。

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国際社会という第三者に平和を訴えるならば

「個人の感情を入れない述べ方、考え方」。ここがとても大事で、でも日本人はほとんど気にしていない部分です。

まず人間としての博愛的な感覚を主張する際に「国の立ち位置」、「戦争が起きた当時の政府の決断」や、現在の自分のアメリカ人あるいは日本人としての感情を連携させるべきではないと私は常に思っています。

ハーバードの青年の話を聞いていてもやはり、日本人でも、WW2の敗戦と被害を通じて国際社会に平和を訴えるならばまず客観的に述べるべきだと強く思いました。

日本以外の先進国ではディベートやプレゼンの訓練が発達しています。まず訴えの中に論理性がないと、聞いている側も結論についていけないのです。

と言っても、私は戦争体験者ではないので、一番辛い思いをし、人生そのものを変えられてしまった戦争経験者の世代の感情をを無視してまで「客観的に物を言え」とは言えません。

73年という年月は長いけれど、心の傷、恨み、怒りが消えるには、当然短い期間です。

ハーバード大学 2004年夏

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平和の追求アピールは世代によって異なるべきでは

ただ私のような戦争経験者ではなく、戦争を知らない世代にとっては第二次世界大戦そのものが「歴史上の出来事」としてしか認識できず、体験者の話をいくら聞いても、彼らの涙をいくら見ても、本当の意味で寄り添ったり、共感したりすることはできません。

貴重な知識としてありがたく吸収させていただき、そこから考える、くらいのことしか実際できません。

私の世代はすでに日本の経済も生活基盤も激しく復活、成長し、先進国として安定した時代に生まれています。

平和ボケです。

先人の苦労や努力を想像して感謝はできても、いかに辛かったかを本当の意味で察するには情けないかな、至らない。 だからこそ新しい世代は立ち位置をもっと引いて、平和の追求を人道的立場から訴えたらいいのでは、ということです。

ですので、戦争を体験していない世代が平和の追求を世界にアピールするのには、哲学や博愛の観点からアプローチして、現在の戦争賛成派の考えの人たちの心に歩み寄って諭していかないといけないと思うのです。

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日本の第二次世界大戦についてのテンプレート教育に疑問

日本で育った日本人の多くは、若い世代も含めて原爆を落とされた事自体に(当たり前ですけれど)国民としての痛烈なトラウマがあると思います。

戦争を経験していない世代でも、親戚縁者が犠牲になっていなくても、です。

原爆を落とされたことがある国は未だかつて日本だけです。

ですので、原爆による被害や人道的に逸脱した恐ろしさを、具体例を持って世界に主張できるのは、日本人しかいません。

国際社会で核廃止を呼びかける際に一番声が通るのは明らかに日本人の意見でしょう。

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平和の大切さを教える際に憎しみを生むやり方が納得できなかった

日本で戦争についての教育を受けると、小学校では特に原爆の破壊力と残酷さを繰り返し教わり、「我々はルールを無視したひどいことをされたんだ」と言うメッセージの刷り込みを何度もされます。

これは史実であっても「我々は」の部分があまりに強いために、新しい世代の学習者の感情に直結してしまいます。平和について学んでいる最中に恨みや憎しみが生まれてしまう。これは遺憾です。

たとえ学校側がそういった洗脳的なことを意図していなくても、映像や写真、映画を見るだけで、戦争自体についての警戒心と原爆についての恐ろしいイメージが焼き付きます。

恐怖はすごい力を持っていて、本能に訴えかけ、簡単に憎しみを生みます。 私は子供の頃から学校の先生が平和を教えているはずなのに、皆なぜ心を痛ませ、苦しみ、敵対心を持たなければいけないんだろうかとすごく違和感を持っていました。

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「原爆」「敗戦国」「被害者」を一気に押してくる学校

小学校などの基本的な歴史の際に第二次世界大戦に触れると、「日本は敗戦国であるのでこんな目に遭った」と言う説明がされることが多いと思います。

実際日本は敗戦国であっても、感情に直結しやすい「敗戦国である」という情報をそのまま「原爆といういじめに逢い、力づくでねじ伏せられた被害者」という感情的な直に結びつけることも多々あります。

それはもしかしたら先生方の私情が入っているかもしれない。 原爆の犠牲、そして戦争の犠牲になった一般人は、当然被害者ですが、戦争に負けたから=「日本という国」は第二次世界大戦の被害者ではない。

戦争というものに加担した国の判断が招いた被害の中に、「一般人の犠牲者」や「戦死者」や「無名兵士」などが発生してしまった、ということをはっきり言って欲しかった。

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参戦したこと自体が平和的選択ではなかった、と筋を通して言わない

戦争に参加したことが過ちでした、愚かでした、とはなかなか言ってくれなかった、本に書いてなかったのがしっくりこなかった。「もう戦争をしない国」だからバシッと言えるポイントだと思うのに。

戦争被害者は戦争に参加した国にはどこにでもいます。勝っても負けても、どこの国民でも戦争で被害を被った人は戦争の被害者であり、その戦争の責任は参加した国々にある。

日本史で出てくる喧嘩両成敗みたいに考えることはできないのか。

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歴史の授業でなぜかほとんど触れなかった太平洋戦争

また、「原爆投下についての謝罪をアメリカに公式に求めても、今までずっと謝らないのはなぜか」の研究に触れることも学校ではそれほどしないわけです。

しかもひどいことに、私の行っていた中学、高校では日本史、世界史で意図的に第二次世界大戦を飛ばすか、さらっとしかやらないという離れ業教育をしていました。

知恵がついてきて困る質問をされたら答えるのが面倒、だからなんだと思います。

はっきり言わない、肝心なところを理論立てて教えないせいで「世界平和の実現」自体が建設的な具体案もなく夢物語のように聞こえてくる。

そんな日本での教育が私はなんとももやもやしていて大嫌いでした。


日本における戦争を知らない世代による「平和の追求」とは

戦争を知らない世代の日本人がするべきことは、史実としての第二次世界大戦の正しい情報を正確に理解し、感情抜きで「平和の実現」に至る哲学を学ぶことだろうと思うのです。

ちょっと引いて全体を見ないとやはり感情は芽生えてしまうし、平和という漠然としたものの概念や人間の間違いを繰り返し犯す愚かさの部分が見えてこない。

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これはハーバードで出会った男性も強く言っていて、他人に、しかもアメリカ人に言われたことで私の魂の中に長くあった、「アメリカという国がした酷いことを日本人として知っていながら、アメリカを愛してもいいのか」を見事に消化してくれました。

カタルシスというか、私の心の中のモヤモヤが消えていった瞬間でもあります。

人間は、答えを求めて学ぼうとすれば、人生の中でこういう出来事に思わず出会うことがあります。皆さんはどう思いますか。

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アメリカ合衆国を愛する日本人妻であるということ

私はアメリカに憧れ、アメリカが好きでアメリカのことを学び、色々ありながらもついに結婚後アメリカに永住することになりました。

おそらく戦後間も無くであったら両方の周囲から反対されたでしょう。

自分の長年の目標を叶えた点では、私の人生は成功していると言えますが、実際のアメリカの暮らしというのは想像以上に大変で、移民としての風当たりも時には強く、思っていた生活とは違う点が多くあります。

国や文化や民族にはっきりしたボーダーがなくなりつつある時代に

国際化が進み、いずれはもっとミックスしあい、国という枠組みが、さほど意味を持たなくなるのは明らかで、そんな社会になってからも諍いを避け、平和を築くにはまず戦争という人類の狂った醜態を冷静に学ぶ必要があると思います。

そして、差別意識や我々の無知からくる様々な過ちをどう解決していくのか、すべての人への平等の実現も同じレベルで追求していかなければなりません。

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戦争を肯定するアメリカ人の考え方を知ることも必要

私はアメリカ人がアメリカのしたことを擁護する考え方を持つのを嫌うわけでも、批判するつもりも一切ありません。そして戦争を肯定する人の主張を頭ごなしに批判もしたくありません。

アメリカ人はアメリカ人としての考えがあります。

それは当然のことで、同じ教育を受けていない私がとやかく言えることではありません。

アメリカで子供達が第二次世界大戦について教わる時は、当然勝った側として、アメリカの立場として「アメリカがしたことは正しかった」、と言う「正当化」の含みを持たせて習うと思います。

そして「どう言う点が正しかったのか」についても議論することになるかと思います。 戦争を肯定する人の意見は、彼らは彼らの経験や、知識や、理論でその考えに至っているわけですから、それを私が批判したり評価したりはすべきではないので、他人が厚かましくそれを変えようとするのはナンセンスです。

まず、彼らが何を言っているのか、まずは否定しないで理解しないといけないと思うのです。


アメリカ人と日本人が結婚するということ

自分が日本人である場合、アメリカ人と結婚する際にある程度相手の戦争や平和に対する考えを話し合って、お互いの理解を深めておかないとうまくいかない時があると思います。

なぜなら、ちょっとした喧嘩の際にすごく感情的になって、アメリカ人側が「日本はパールハーバーの時にこうした」日本人側が「アメリカは原爆を二つも落とした」などと言葉が出てしまうようであれば、外国人同士根本的に乗り越えておかなければならないものがあるかと思います。

アメリカには、たくさんの「戦争自体を肯定する」考えを持つ人がいます。そこで、仮に日本で育って、たっぷりと「平和が一番」「戦争はダメ」と教わって生きてきた日本人が、アメリカ人である相手を愛する心だけで、その考えの真髄までを受け入れることができるでしょうか。

お互いの歩み寄りを極めてはっきりさせておかないと後々が簡単ではないかもしれません。

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思想的なことは主に家庭教育による

アメリカでは義務教育で教わることは多いですが、いろいろな人種や文化の家庭があるので思想的な部分は家庭の教育で培う部分が大きいと思います。家庭の文化はアメリカでは、州や地域によってものすごく偏りがあります。

そして思想、宗教、政治に対する考えは極めてプライベートな話題であると捉えていて、通常外には出しません。(が、空気として醸し出すものはすごくあります) ですから、私と出会ったばかりの頃は、アメリカ人であることに負目を感じるのか、溝を埋めたいのか、「アメリカは日本にひどいことをした。ごめんなさい。」とよく言っていました。

私はもともと「わたしに謝る必要はないし、あなた個人がしたことではないんだから」と構えています。

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勝利国と敗戦国の言い分の溝を埋める努力をする

以上に述べたように、日本は敗戦国、アメリカは勝利国、両者それぞれの、国のスタンスを正当化する内容の見解を教育の中で教えられると思います。

そこで私は日本、アメリカのカップルは、まずお互いの関係のために、そして生まれてくるかもしれない子供のために、建設的で、哲学的な議論をしてみるといいと思うのです。

私の夫はアメリカでは珍しい個人的な文化を持っている人間で、「個の人間として、人類全体として、戦いは避ける努力をするべき。手を上げた方が(人間の質として)負けである」という考え方を強く持っています。

ですから彼はアメリカの義務教育内で教わったやり方の「第二次世界大戦においてアメリカは正義を遂行した」というスタンスは嫌っています。

中でもアメリカが日本にルールを破ってまで原爆を落として、戦争を「終わらせた」というヒロイックな切り口でのストーリーは、「正当化させていいことではない、問題外である。」と怒っています。

冷静に考えれば当然のことを言っているだけなんですけれど、こんなアメリカ人も中にはいるのです。

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戦争の話とと感情は切り離す

うちではもう慣れきってしまって、よくオープンに戦争の話をします。夫の話からアメリカではどう第二次世界大戦を伝えられているのかについて、とても興味深く学びました。

アメリカ人の多くは、教えられたがまま、「第二次世界大戦で敗戦した事で日本は帝国主義を強制的に終わらせられた」と言う認識を強く持っています。

そこで我々日本人が注意したいのは、「違う!ルールを破って原爆を落としたじゃないか!」などと言い争いを始めないこと。

我々日本人も日本のやり方で教えられたがままの見解を持っていますからね。

争いは本当に無意味。


夫との「戦争から学ぶ教訓」の共有

私と夫で第二次世界大戦について話すと、感情論にはならず、安心して「人類の歴史としてどこが間違っていたか」を明確に、冷静に話すことができます。

そして結論は戦争なき人類の歩みはいかにしたら叶うかと言った夢を語るような感じに行き着き、考えを共有した感じでおさまります。

これは夫婦だからとかの以前に、外国人同士の意見の交換としてとても理想的であると思います。

なぜなら、両国の国民意識、感情論をすでに超えた領域で捉えているので、されたこと、したことを憎まずに、人類が犯す過ち自体を憎んでいるからです。

ニューヨークの地下鉄の中でアメリカ人と日本人カップルがハーフの子供を抱きしめ、どうやったら人間は「平和」を築けるかについて語れている。

これは私たちと何も変わりない一般人だった戦没者が、息を引き取る寸前に祈った、いつかの未来の姿かもしれません。

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国際カップルだから平和のためにできること

アメリカ人と日本人のパートナー同士は、せっかく出会えたのですから、とても幸運だと思います。

戦時中、戦後直後であったらまず出会いも結婚も乗り越えるべきものや世間の目など、ハードルが高く難しかったでしょう。

現在国同士が敵対関係ではない状況で、私たちはただの人間で、情を育み、結婚に至ることが割と普通にできます。

そして、日本のように平和な状態を続けられる(続けなければならない)環境下で成長し、学び、考えれば、理想も疑問も持ち続けて相手と話し合うことができます。 国際カップルはどんどん話し合って高めあってほしいです。

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家族として考えられることの幸せ

私たちはいまだに、戦争の話無しにして平和を学ぶことができません。

相反する実際の具体例がないと、平和という状態を意識し続けられないのかもしれません。

戦争の犠牲になった罪のない方々は本当に気の毒です。そして遺族や生存者はもう十分過去の出来事に苦しみ、戦争の経験のない世代とは違う時間を過ごされました。

でも、経験者の悲しみや憤りは消えることはありません。 でも、私は、今こうやって、アメリカで、アメリカ人の夫と、憎しみを持たずに敬意を持って感謝ができています。 娘も大きくなったら理解していくでしょう。


まとめ

戦後75年。まだ75年。 風化させてはいけない、けれど前に進まなくてはいけない。

世の中を良い方へ変化させるには、我々の努力が必要です。

学び続けましょう。

学びは一人一人の魂の経験です。

一人が学んだからといって、全員を一気に変えることはできません。皆で貪欲に学びましょう。

平和は努力や意思なしでは築けません。絶対忘れてはいけない悲しい教訓は世界に山ほどあります。

今年の終戦記念日には、1分でもいいので、いつもより一歩踏み込んで国や人種の枠を超えて戦争、平和について考えてみてください。

 

お読みいただきありがとうございました!

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