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【画像】アメリカ・カリフォルニア・ハリウッドの写真と旅の思い出1ウォーク・オブ・フェイム(2000年頃)

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この記事では20年前、私がまだ20代前半だった頃に大学からアメリカに研修に送ってもらった際の思い出話を画像と共にしています。

前回のリトルトーキョーの回はおかげさまで大反響をいただきました。ありがとうございますー!今回はカリフォルニアのロサンゼルス、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェイムの画像を主にご紹介します。



ハリウッド大通り中心に観光写真を解説とともに紹介

こんにちは、なんだろなアメリカにようこそ。キョウコ@NandaroAmericaでーす。

映画の都ハリウッドですが、当時私は映像メディアの研究をしていて、この年はハリウッドなどカリフォルニアの都市とニューヨークを訪れました。

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ハリウッド・サイン

いやー、前回のリトルトーキョーの記事は意外にも好評をいただいたので大感謝です。また昔の画像を整理して記事にしていきますね。読んでくださって方ありがとうございました!

ハリウッドサインは昔Hollywood Land だったそうで、13文字のため自殺の名所となり、イメージが悪いからHollywoodにした、という逸話があります。

ちなみにHollyはひいらぎ。柊の森という意味で、地主の妻がつけたと言われています。日本語では聖林と書かれますが、これ間違いで、Holy(聖)ではない。Holly(ひいらぎ)です。

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ハリウッドサインを撮影できるのはどこ?

ちなみに、ハリウッドサインをバッチリ撮影できるのはHollywood/Gowerの通りのあたりからです。治安情報を地元の人に聞いてから行くのをお勧めします。

360度ビューでも確認してみてね。ばっちり、交差点から見えますよ。撮影するなら望遠使ってね!


なぜハリウッドは映画の街なのか?

20世紀初頭に、天候の良さ(撮影のしやすさ)などのためハリウッドはアメリカ政府の国策により映画産業の町として誘致、地元産業となりましたが、その前は実はアメリカの映画産業の中心地というのは東海岸で(そりゃそうだよね)ニューヨークシティ、ニュージャージー州フォート・リー、シカゴなんかが映画の中心地でした。

1800年代後期にフランスでリュミエール兄弟が映画を初めて産業にしたわけですが、フランス、イタリアなんかのヨーロッパの方が最初は映画産業が盛んだったわけです。

いろんな所にお邪魔して勉強させていただきました。別の記事でいずれスタジオ参拝の記録も書きますね。

下の壁画(Mural)は”You Are The Star”という作品で、ジョークも満載の有名な作品。

チャイニーズシアターの裏の方にドルビーシアターというのができて、毎年アカデミー賞授賞式をしていますが、そこの真正面のアパートに滞在していました。

工事中でうるさくて、すみません、と毎朝朝ごはんが無料でいただけていたんでした。日中は全くいないので騒音だからと言って全く困らなかったのだけど、毎日の朝食、とても助かりました。

毎日歩いてバスに乗ったりタクシー捕まえたりしたのはチャイニーズシアター前のHollywood Blvdです。2000年ごろまでは地下鉄はまだ北からこの辺までしかなかったような。これ以上東、南には通っていなかった気がします。

この記事では大体この辺の写真をご紹介しています。

有名なHollywood & Vineの交差点。有名なキャピタルレコードなんかもこの辺にあります。

ここにも地下鉄駅ができました。便利になったなあ…。地下鉄の普及で渋滞はどのくらい緩和されたんだろう。効果あったのかな。

エジプシャンシアター。ハリウッドで初めてきらびやかなプレミアが開かれた劇場。中は超ゴージャスな内装。

この辺はチャイニーズシアターがあったり、エジプシャンシアターがあったり、El Capitanシアター(オーナーはディズニー)があったり、外国の文化を全面に押した劇場ってコンセプト。おもしろいですね。

ちなみに、エジプシャンシアターはチャイニーズシアターよりも古く、大成功したのを見てチャイニーズシアターが作られたそうですよ。エジプシャン=1922年、チャイニーズ=1927年オープンだそうです。昔のハリウッドのセレブたちがキラキラとレッドカーペットの上を歩くのが想像できますねー。

ちなみに2020年からオーナーはNetflixになったそうです。ディズニーと争うメディア会社。この20年の成長はすごいね。

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チャイニーズシアター横のお土産やさんで

おみやげ屋さん。見て、絵葉書が全盛期。

私、絵葉書はとてもいいおみやげ(写真として収集しても楽しいし、安いし)だと思うんだけど、スマホやメールの普及に伴い、ハガキ類ってあまり売られてなくなりましたね。

風景写真の絵葉書は減ってしまう理由がわかるんだけど、昔はミッキーやキャラクターのイラストの可愛いご当地ハガキがいろいろあったのです。集めていたんだよなあ。

2000年ごろってメールを確認するのにもいちいちFedexとかに行かなきゃいけなかったり、ホテルに戻ってビジネスセンターに行かないとパソコンで確認できなかったので、まだまだページャー(ポケベル)とか、携帯電話の全盛期でしたね。私は後者2つはアメリカに持って行かなかったので毎日研修先との連絡が、そういえば大変だったな。

ブルースブラザーズ。

そうか、選挙だったんだな。クリントン2期目が終わる年で、Wブッシュが当選した年でした。そして次の年は同時多発テロよ。今振り返ると、この頃は明らかにアメリカの歴史・風向きが変わる頃でしたね。

そして、このお店で子供の頃来た1989年にグリーンのミニーマウスのシャツを買ってもらって、すごく気に入ってよく着ていたんだよな。あれ、そろそろ娘にもいいなあ、と。超ビンテージ80’sでいいじゃん。

チャイニーズシアター前の地下鉄駅から北のスタジオの方へ行く際に毎朝乗っていた地下鉄。朝はめっちゃ人が少なくて毎日恐る恐るだった。

今はこの辺の地下鉄、混んでいるんでしょうか。どんな感じに変わったのかなー。もう20年!涙

銀行の名前がザ・バンク・オブ・ハリウッド というのでなんか面食らったんだけど、地方銀行みたいなものなのかね。名前のインパクトがすごい。

移動しまーす。

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ハリウッド・ウォーク・オブ・フェイムを探索!

ハリウッド大通りの歩道に星型のタイルが2000以上埋められています。

その星型の中にはショービジネスで活躍した監督、プロデューサー、アーティスト、俳優などの名前が刻まれているのですが、出発点(西)はNorth Brea AveとHollywood。終わり(東)は先ほど地図を載せた、VineとHollywoodの交差点まで。

終着点のHollywood & Vineには1969年のアポロ11号の月面着陸に寄せたプレートが4枚あります。これは、当時初めての月面生中継というテレビ放送の試みを記念してのものです。この月面着陸の一部始終の生中継には、放送技術の発展ももちろんですが、むしろ当時冷戦中だったロシアに対してのアピール、アメリカ全国民を目撃者に、という政治的な意味合いもあります。

そんなこんなでハリウッドは常にエンターテインメント、映像技術テクノロジー、、情報・通信産業などが絡んで大きく発展してきたわけです。

ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームでは人通りも多く、観光客が写真を撮ったりしていました。

出発点↓

はじまるよーん。

トム・ハンクス

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トニー・ダンザ(笑)

なんで写真を撮ったのかわからんけど、いろいろ笑える。(笑)

エディ・マーフィー

セレブになっている非白人は多いですけれど、この国でここまでの人気者になるには相当な苦労があっただろうなと当時も思いながら写真を撮りましたねえ。

マックス・ファクター

化粧品でお馴染みですが、お化粧の技術、お化粧の製品ともにハリウッドを支えた名ブランドです。

チャイニーズシアターの近くには博物館もあります。メイクや女優さんがおすきな方は、ぜひ。私が滞在した頃は改装中でした。この改装というのは数年かかったそうで、かなり長かった、と噂でした。

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トミー・リー・ジョーンズ

色々な役をこなされるとにかく渋い男優さんですが、私が一番すきなのはスピルバーグの『リンカーン』でのタデウス・スティーブンスです。

ちなみに彼はハーバード卒なんだそうですよ。知的さんだったのですね。

アービング・タールバーグ

アメリカ映画史初期のユニバーサルスタジオ・MGMのプロデューサーです。映画の作り方がとても良いビジネスモデルで、大ヒット(興行的に)とても優れていたという方。

若くして亡くなりましたが、映画史へのインパクトは大きく、賞の名前にもなっています。

個人的に、この方が今生きていたら、SNSやSEO対策をばっちり理解してメディア帝国を作っていたのかな、と思います。イ◯ハヤさん的な。

アレサ・フランクリン

2018年に惜しまれながら亡くなり、デトロイトのお葬式には全国から「ピンク・キャデラック」などに乗ってファンが大勢駆けつけたのも記憶に新しい、ソウルの女王。

映画『ブルース・ブラザーズ』シリーズでは大迫力の歌声で痺れさせてくれました。とってもキュートで強くたくましい、アメリカの女性というイメージ。

大スターですが、黒人であることでどんなに苦労してきただろうかと、歌を聞くたびに彼女の強さに心を打たれるんですよね。

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ベラ・ルゴシ

ハンガリー出身の男優。ユニバーサル三大モンスターシリーズ(ドラキュラ、狼男、フランケンシュタイン)のドラキュラとして名前を轟かせました。

アメリカ人にとって、ヨーロッパ(トランシルバニアね)のムードを漂わせる彼のアクセントは印象が強く、米国でも1930年代のモンスター映画の大スターとなりました。

遺作は『プラン・ナイン・フロム・アウター・スペース』(Plan 9 From Outer Space)。お葬式の際はドラキュラ伯爵の衣装で埋葬されたそうです。←

アポロ11号テレビ中継の記念

先述でご紹介したアポロ11号のテレビ中継を讃えるプレート。VineとHollywoodの交差点付近にあります。

ミッキーマウス

苦労のどん底でウォルト・ディズニーが産んだディズニー社のマスコット。1928年11月18日ニューヨーク出身。(最初に上映されたのがNYCのコロニー劇場だったから)

公式の身長は3フィート2インチで、最初の設定の年齢はティーンエイジャー、職業は俳優さん、好きな食べ物はチーズです。ハハッ!最初のミッキーの声優さんはウォルトご本人でした。

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まとめ

はい、今回はハリウッド大通りのHollywood Walk Of Fameを中心に画像をご紹介しました。次回はチャイニーズシアターのハリウッドセレブの手形、足形を狂ったように撮影した写真が出てきましたので、たくさん載せますね。

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