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米国人向けと日本人向け二つの文化を無意識に使い分けるようになってきた私

国際結婚

アメリカに住み8年目となりますが、アメリカ人と接する時、そして在米日本人と接する時、私の心の中では、無意識に二つの文化を基に対応を使い分けているんだなあ、と最近強く認識するようになりました。

「在米日本人の友人・知人」、そして「アメリカ人である夫と娘」。対応する時私は結構違う配慮をしています。

日本からアメリカにやってきた、「移民」の私の中身は今後どう変わっていくのだろうかも考えてみました。

米国人向けと日本人向け二つの文化を無意識に使い分ける私

こんにちは〜なんだろなアメリカのキョウコ@NandaroAmericaです。

私は今だにアメリカで時々日本語を見かけたり、知らない人でも日本語で会話できるとホッとします。皆さんはどうですか?

アメリカの文化は深部では日本とかなり違います。日本はアメリカにかなりの影響を受け、ぱっと見は似ているような印象を受けますけどね。

この記事は、アメリカに住み始めて数年経つも、まだまだ米国の中で自分は知らないことが多く異質である状態が知らず知らずの間に表れている&認識しているお話をします。

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「好きで移住した」責任が結構後から来る

私は自分の選択で(強制ではなく好きで)米国移住しました。しかし、住んでみると、考え方、対応の仕方、物の言い方など、住んでから自分を変えていかなければならないこと、学ばなければいけないことがかなりありました(あります)。

英語のネイティブにはなれない諦め

私はアメリカに来てから8年目ですが、いまだに英語がネイティブスピーカーのような流暢さ、また精神年齢相応の表現ができず、もどかしさ、恥ずかしさ、そして諦めの感情などいろいろ噛み締めております。

多分一生ネイティブレベルにはなれない。

そんなにネイティブに近づきたいのだったら相応の努力をしているのか?というところに行き着きますが、はい、結婚後いろいろなことを言い訳に、ほとんど英語への努力や積み重ねはしていません。

そして子育てと共に家に籠る&家族以外との英語でのやり取りが極端に減ると英語の衰えの加速が止まらない。(笑)

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英語はそんなに努力せずなんとかなってしまう環境下

自分の努力がないのがいちばんの原因なのですが、私の場合、現在語学力を高めて行くエネルギーがありません。一つには日常生活、あまり困らない程度には読み書き、会話ができるから。

さらに言うと、旦那とはだいたい想定内の会話しかしないし、旦那の言っている単語などがわからなければ、「どういう意味?」と聞けば噛み砕いてくれるから。

娘の学校や友人、ご近所の人たちなどともやっぱり想定内の会話しかしないし、時々込み入った話をするときは、わからないところは私が聞き直したり確認するので、そんなに危機迫った不自由がありません。

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精神年齢相応の英語表現ができるのはいつになるのか

しかしながら、私の英語は大学に通って討論したり、論文を自分一人で書いたり、専門職に就いて辞書なしでアラフォー相応のアウトプット能力があるのかと言ったら、全然及びません。

口語だけの英語と、かっちりした英語の能力だったら、前者ばっかりで生きている感じで、後者がついてこない生活スタイルです。

そんな生活の中で同じ母国語、同じ国出身の人と話せるのは、私の場合かなりの共通性を感じて、うおー日本の方だーー!と喜んで話してしまいます。楽な方へ逃げているというか。(以前は日本人とは距離を置くとか、日本語なんか話さない!とツンケンしていた時期がありましたが、NJに来てから変わりました。)

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日本で育った日本人とアメリカで話すとき

日本で育った日本人とアメリカで話す。

日本人が少ない地域だとあまりないシチュエーションかもしれませんが、コミュニケーションを取る時に私の心の中には「日本だとこうするからこの人にはこういう礼儀で接しよう、非常識と思われないように〜」みたいなルールが無意識のうちにあります。

逆に、アメリカで育ったアメリカの方には当然「この人は私が日本の規範で物を言ったりしたら理解不能だろうから、私の知ってる範囲のアメリカ流のやり方で接しよう」となります。

さらに、日本生まれ日本育ちの親御さんのお子さん(アメリカで生まれてアメリカで育っている)に接する場合は「このお子さんは親御さんからある程度の日本の知識は受け継いでいるだろうけど、学校や母語が英語だから、アメリカ人として接しよう」という感じですねえ。

皆さんどうでしょうか。私、考えすぎ?

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二つの文化を使い分けてることに気づいた

二つの文化を「使い分けてる」というとかなりシビアなイメージかもしれませんが、アメリカ流の発想と日本式の発送がかなり違うので私の中では対応の内容にかなりの差が出ています。

「バカ!」と言いたい心を抑えて暮らす

例えば、アメリカでは面白いことをしている人を見てバカじゃないの!?という意味で “He is stupid!”とは言いません。Stupidは、大人が使うと嫌悪と軽蔑の気持ちがこもったかなりきつい言葉。

面白いこと、ふざけている人が「愉快だねえー、おかしいねえー」という場合は “He is so silly.” などと言います。

しかしながら、アメリカで暮らしていても日本人夫婦だったり、アメリカで暮らしていなかった配偶者と新たにアメリカで暮らすようになった方などは意識していないことが多いと感じます。

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Name Calling にならないように気を配るようになった

日本人がよくやる「バカ!」っていう感情的になって吐き捨てるような言葉って、アメリカではName Callingなどと言って、軽蔑とか差別とかかなりタブーな範疇の行為です。

「あんたバカねえ」的な感じでも「軽蔑的な呼び方をあえてする」という発想と行動が、言葉の暴力に当たります。DVの定義の中に、パートナーにName Callingされるのはドメスティックバイオレンス事案です、っていう説明もあるくらい。

Name Callingとは、日本では概念がないことだと私は思っています。理解するのにちょっと苦労。

それだけ、日本人にとって、アメリカで「Name Calling」に該当してしまう行為が一般的ということだと感じるんですが、アメリカに暮らす場合は日本人はちょっと本気で見直したほうがいいと思っています。

例えば、バカ、アホ、チビ、デブ、ブス、ハゲタコそういう感じの呼び捨ては絶対ダメということ。

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気にするあまり以前より「バカ」と思わなくなってきた

日本人同士だと、シチュエーションによってはじゃれてる程度で笑って終わりになりますけどね。

日本よりも意外とアメリカって「節度」とか「距離感」を気にしますね。個人主義とか人権とか尊重とかが確立してるってことなんでしょうけど。

また、夫や子供にもふざけたり、何か信じられないような間違いをした時に日本語の「バカね」みたいなことは言いません。もっと柔らかい言い方をします。

そういう時に私の日本で育った自然な感情に任せて「バカ!」と言ってしまいそうになるのを何度自分で「矯正」したことか。結果、現大統領のご乱行をニュースで見たときくらいしか「バカじゃないの!?」と憤慨することがなくなりました。

ほかのときは「なんだこりゃ」「ああ、なんてこと」「なんとまあ」「ああ、ひどい」そういう感じになりましたね。

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アメリカ流の思考回路も持ち合わせるようになった実感が少し

こう言ったことって、配偶者にもよるんでしょうけど、私の夫の場合は日本にほとんど興味がなく、知識も文化の理解もない人物なので、アメリカに住んでいる以上はひたすら誤解を招かないように、私が努力をしなければなりません。日本で住んでいたらもちろん逆です。

息苦しいのは事実なのですが、私はこれからもアメリカで生きていくし、触れ合う人間は夫だけではなく、これから色々な方と話していくでしょうから、マナーや雰囲気はわかっていないといつか自分が痛い目を見る、という一心で「アメリカ流」を学んでいるつもりです。

そんな感じで、最近特に「肯定感」を言葉にする文化がすごく身についたと思っています。

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「かわいいね」「そんなことないんですよ」も日米で違うリアクションを選んでいる

数年に一度日本に里帰りしたり、ツイッターなどで日本のものを読んでいると、日本の日本人は(笑)とっても自分や子供や社会全体に厳しいな、否定的だなと感じることが多くなりました。

日本では子供のことを「かわいいね」「お利口だね」など言われた場合、「そんなことないんですよー、いうこと聞かなくって!(笑)」「そんなことないんですよーこないだも先生に怒られて!」など、謙遜のワンクッションがありますが、これは日本の方には(形として)私は言います。

が、アメリカの方には素直に “Thank you. You are very nice.”とか”It’s very nice of you.”とか、時には “Thank you. Yes, I am proud of her. She is learning a lot every day.”などアメリカではあくまでも娘は私の所有物、管轄物ではなく、立派な若い一個の個人であるという態度で反応しています。

子育てに関してはアメリカでの受け答えを多く経験しているせいで、私の子育て経験値はアメリカで培ったものとなっています。そのせいで、日本にいる間に形でも謙遜すると、後から結構な疲れが出てきます。そして、娘にごめんねー。と思う。

かと言って日本で「かわいいね」「はい、ありがとうございます」って全肯定で答えたら変な人ですよね。やっぱり日本は一回否定形を置く言い方じゃないと、丸く収まらないと思います。言い方なんですよね。波風立てたくないですからねー。

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家では日米のやり方混ざって接しているよ

ちなみに、家ではうちの子には80%くらいアメリカの親風に接していて、20%くらいは日本の親風に接しています。

アメリカの親風=褒める、肯定する、他人と比べない、否定語をあんまり使わない、頭ごなしに否定せず理由を説明する、手をかけすぎないなど。

日本の親風=自分で何がいけなかったか考えなさい、他人を思い遣る、食べ物を無駄にしない、掃除も自分の責任はにはする、挨拶はしっかりするなどなど。

注:だからと言って娘が全てちゃんとできるわけではありません。

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長く暮らせば最後は中身もアメリカ人?

わ私はまだアメリカ暮らし8年目ですが、人生の大半を海外で暮らされている先輩を見ると、日本出身であっても、随分と「日本に住み続けている日本人」とはいろいろ違うなあと感じます。

私は今はまだまだ日本で育った日本人がアメリカ生活で新たにいろいろ吸収している段階真っ最中だと感じています。まだまだ。

緊張の合間に日本人の人といろいろ話せるのはすごい癒しになっています。

人間も長い目で見ると、環境によって変化するのは自然なことだと思いますが、私は個人的には、いろいろな国や文化が体験できるっていいなー、と思っています。異国での人生って貴重だね。

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まとめ

はい、アメリカで暮らして数年経つにつれてリアクションや思考回路もだんだんアメリカ流になってはくるものの、まだまだいろいろなことの「アメリカ流」がわからずに勉強中、のお話でした。

完全にアメリカナイズされた人にはなれないだろうけど、これからも変化は続くんだろうなあ、と思っています。

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