即座に旦那とじい様ばあ様との宴が始まった
大学病院を後にして、その晩は宴が始まりました。わたしは食べる気力はないのですが、夫と義理の両親がお祝いをしてくれました。みんな嬉しそう。
私は疲れ切っていて訳がわからないけれど、レストランの席に座っています。これから色々勉強しなきゃあかんなー、アメリカのの妊娠出産ってどんなのかと早速考え込んでしまいました。
しかしアメリカの人たちって考え込んでくよくよするよりも、自分をコントロールするのがうまく、とてもポジティブなんです。
「なるようにしかならん」の境地なのか「無駄に悩まずやることはやっていけば大丈夫なんだから、なんとかなるでしょう」ということを何度も言われました。まあ、それ以上私を納得させてくれるような懇切丁寧で深い言葉は言われないのですけども。
不安を感じやすいと言われる日本人(の私)in おおらかなアメリカ
一概に、ポジティブでいようとするアメリカ人の多くの人は、不安因子遺伝子が強いと言われる日本人からしてみると、「知らぬが仏」を完全にうまく把握して見たくないものは絶対見ないようにするスキルがすごいのです。(日本人は不安材料があれば、解決や安心するための努力を設定するために蓋を開けて見てしまうのです。)
それ以上くよくよするのを人目に触れさせるのはアメリカ人からしたらうざい領域なんでしょうね。日本人の不安というのが「現実をシミュレーションして、緻密な計算のもとに「現実」を見据えて気疲れしている不安」なのに対して、アメリカ人は「緻密な計算ははなからせず、かなり漠然としていて、わー楽しみーという感情が先走っている」印象を受けます。
夫タイプの人間に私のように悩めって言っても悩めないのではないかと思う。
やっぱり色々悩むのは(日本人として)必要だと思う
時々私もあっけらかんと生まれたかった、育ちたかった、アメリカ人ってぽわーっととしていていいなーと思うけれど、旦那を見ているとやっぱりその緻密な計算の部分が足りてなくて後々年齢の割に信じられない失敗をして、お前はいつになったら学ぶのかと私は思っているので、悩んでもストレスでも、苦労でも、ジャパンクオリティの心配性リアリストでよかったなと思います。
アメリカの社会、システムはやはり弱肉強食な面が顕著で、知らなかったら損する、学ばなかったら後々失敗する、という因果応報を痛いほど体験します。
人生において悩みもストレスも、バカな失敗を毎度起こすよりは、きちんと生きている証しとして、必要なんだと思うことにしています。アメリカ来たら自分がしっかりしないと。
国際結婚で外国に住むという女性はほんと大変だと思う。頑張ろうみんな。頑張ろう自分。